愛の実践

 人間は、その人の愛の対象によって心情の優劣が測られると言いますが、イエス・キリストは「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くしてあなたの神である主を愛せよ」と言われました。

 聖書では、純粋な愛は神から出ていることを教えています。今回は愛を持ち、愛を現わすことについて考えてみましょう。そこで先ず、人間同士の愛の姿を取り上げてみます。愛する人に対して抱く思いと行動として、

(1) 相手の益となることを真剣に考える。

(2) 出来る限り共に過ごしたいと願う。

(3) 物惜しみせずに与える。

(4) いろいろな方法で、相手をより深く知ろうとする。

等が考えられます。残念ながら、人間には自己中心という性質があるため、愛を正しく現わすことをとどめてしまいがちです。

 それでは、天地万物の創り主と言われる神に対して、私たちはどの程度の愛を現わしているでしょうか。今朝、私の読んだ聖書日課の解説の中に、「神を礼拝することは、人間としての最高の特権である」とありました。神への愛は、神と共に過ごす礼拝(内容は聖書拝読、祈り、讃美等々)という形で守られるべきなのです。

 お互いに貴重な生命を与えられたからには、万物の霊長と呼ばれるにふさわしい生涯を全うして、死後の世界へと続く者となりたいものです。何としても愛の創始者であり、実践者であられる創造主との交流を守り抜く者となりましょう。

 私の場合ここ1年あまり、創造主に信仰の目を向けている老人ホ-ム、川越キングスガ-デン主の園での規則正しい生活と、毎日行われる礼拝等によって、晩年の学びと感謝の時が加えられております。

「常に喜べ、絶えず祈れ、凡てのこと感謝せよ」(新約聖書)


 主の守りと導きを感謝いたします。私の離任後、会堂建設という大任を抱えられた皆様の地元での祈りと、御労に心よりの感謝とエ-ルを送ります。最後の数行に触れたように、振り返ると、私の人生はカナの婚宴ではありませんが、終わりに近づくにつれて内面、外面共に最善で、ひとつひとつ感謝の材料になっています。(2月9日)