いっしょに歌おう 第14回

「かもめの水兵さん」、「上を向いて歩こう」、「琵琶湖周航の歌」、「深い川のように(讃美歌444番)」を歌いました。参加者は11名でした。

神との平和

 パウロという人には同胞に対して、自分の身が引き裂かれてもいいと言うほど願っていることがありました(ロ-マ9:2~3)。それは「神との平和」を持つことでした(ロ-マ5:1)。平和を持つためには、どうしたらよいでしょうか。先日私は「平和道」という本にある、人々がお互いに平和をつくるための13箇条について紹介しました。(1)人の話をよく聞く。(2)因果律を探る。(3)共通性を理解する。(4)事象の意味をとらえる。(5)利害を整理する。(6)利害を計量化する。(7)情報を収集する。(8)核心を掴む。(9)新手を考える。(10)ノウハウを蓄積する。(11)奇抜なアイディアを出す。(12)わかりやすい解決案を出す。(13)自然流で誘導する。しかし私は、この13箇条では絶対和解できないと思いました。なぜなら、ここにはあやまることも、許しもないからです。

私たちは神様に罪を犯しています。そして罪のための支払いには私たちのいのちが求められています。でも、私たちのいのちの代わりに、イエス様が十字架に掛かって、その賠償を払って下さいました。ですから、私たちは「ごめんなさい。イエス様が身代わりになって下さったことを感謝します」という信仰によって、神様と和解できるのです。

 8月、和解、平和ということを考えるとき、自分は神様と平和があるか、神様と和解しているか考えてほしいです。そして神様と和解したときに、人とも和解できます。神との和解、他者との和解、自分との和解は繋がっています。自分を受け入れられないと言っているとき、神様と和解すると、本当の自分を受け入れられます。自分と和解できるのです。神様との和解を、今日是非持って帰ってほしいです。そして天国に行く者となってほしいです(コロサイ1:20)。

私たちには神様との平和をつくる力がありません。私たちは罪に満ちています。私たちの罪の身代わりに、イエス様が十字架に掛かって、払うべき代価を払って、神様との平和をつくって下さいました。このイエス様の身代わりの死を信じて、神様との平和を私たちに与えて下さい。そして私たちを神様との平和を持って、自分との平和、人との平和をつくりだす者としてください。家族の中で、地域社会の中で、あなたとの平和を持っている故に、人々との平和をつくっていく者として用いて下さい。