無二の遺産

紀元前8世紀のユダ王国の預言者イザヤは、救い主イエス・キリストの誕生を預言し、呼び名の一つとして「平和の君」と教えました(旧約聖書イザヤ書9章)

キリストの十字架上の死を、罪人のための身代わりとして自らにも当てはめて感謝するクリスチャンにとって、この呼び名はかけがえのないものです。クリスチャンの一人として、私はこの呼び名が人類の歴史の中で成就し、また私個人にも成就したと信じています。

歴史は下ってイエス・キリストの誕生のとき、エルサレム郊外で羊の番をしていた羊飼いに、天使は救い主イエス・キリストの御誕生を告げ、続く讃美歌の中で「地の上に、平和が御心にかなう人々にあるように」と歌いました。

は洗礼を受けてから62年を経た今日この頃、ユダヤ人の挨拶の言葉、シャロ-ム(平安)こそイエス・キリストから与えられた、揺らぐことのない宝であり、どんな時にもそれを持ち続け得たことを、心から有り難く思っています。天地万物、そして人間をも創造された神は、聖書によって私たちが最も必要としている平安を与える約束のおことばを、旧約聖書、そして新約聖書でお与えになっています。

預言者エレミヤは、神様が私たちのために立てて下さる御計画を「平安を与える計画」と紹介していますし、イエス・キリストは、人生に疲れきっている者に招きのことばとして、「わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」を残して下さいました。そして地上でのお別れにあたって、弟子達たち、ひいてはすべての信徒へのおことばとして、「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしはあなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」を残して下さいました。キリストの平安、これこそ神がすべての信徒に与えて下さる無二の遺産なのだと私は思っています。(2012.12.09川越・ケアハウスにて 依田名誉牧師)

(安らぎの場所に落ち着いたせいか、最近しみじみ感じている心の状態を記しました。)
写真:2012.10.28水戸下市キリスト教会にて撮影。