生命力

「木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。」(旧約聖書ヨブ記より)

 私がここ川越郊外の老人ホ-ム、主の園に入居して三年目の冬、珍しく積もる雪の日を二回経験しましたが、冬来たりなば春遠からじと言われるように、地下では着々と芽生えの準備がなされていることでしょう。また木々の新芽の芽生え、そして緑の葉も生え揃う春の訪れを迎えます。三階建ての一階の住人である私にとっては、庭の雑草、そして垣根の手入れに気をつかう季節の訪れでもあります。一方、私の両隣のご婦人は、故人となった私の妻と同じくまめに庭の手入れをなさり、花を咲かせる方々なので、怠け者の私は無言の激励に囲まれて、植物の世話をすることになります。

 また、万物の創造主がお創りになった動植物、そして人間のいのちには、それぞれに大変な力が与えられていることを知らされる季節です。「生命力」、この言葉には不思議な世界の響きがあります。聖書には、創造主は人間だけに「いのちの息」を吹き込まれたと記録されています。この息こそ、人が神を信じる素質、良心の源、霊、心となって現われ、万物の霊長と呼ばれる理由となっています。その中で、神を信じる素質を働かせる機会を生かすことのできたクリスチャンに対しては、「永遠のいのち」が与えられていると記されています。では、神様は信じる者にどんないのちを下さったのでしょうか。クリスチャンに共通している特権を数えあげてみましょう。

(1)死の恐れからの解放

一生涯、死の恐怖につながれて奴隷となっていた人を解放して下さる(新約聖書ヘブル人への手紙)

(2)生きることの不安の根本的解決

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(新約聖書マタイの福音書6章、山上の説教)

(3)孤独の殻からの救い出し

「わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいます。」(新約聖書マタイの福音書28章20節)

(4)人生の無意義さの解決

「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(旧約聖書伝道者の書)

(5)良心の呵責からの全き解放

「今やキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(新約聖書ロ-マ人への手紙8章1~2節)