いのちの主

今年も那珂湊キリスト教会で行われる召天者記念集会に出席させて頂きました。この集会は毎年、キリストの復活祭(イ-スタ-)に守られています。イ-スタ-は春分直後の満月の次に来る日曜日に祝われるのですが、キリスト教国ではクリスマスと並んで盛大に守られます。川越のケアハウスの私室に戻った私は、自然に恵まれた外の景色を眺めながら、創造主であられる神様がいのちの主であられることに思いを馳せております。

 イエス・キリストは宣教活動開始間もない頃、小高い山の上で有名な説教をなさり、父とお呼びする神様が自然界、小動物の世界にも関与なさって、守っておられる方であることをわかり易く説かれました。

 多くの人は神の関与されるいとなみを信じないため、聖書に記されている大事な記録をご自分の人生に関わりのあることとして受けとめないのは、まことに残念なことです。キリストの処女降誕、行われた奇蹟、復活等、いずれもありえない、または不思議なことという程度に受けとめておられるのです。

 旧約聖書の記録では、イエス・キリストのお誕生を預言したイザヤの預言の中で、キリストのことを「不思議な助言者」(新改訳聖書)とお呼びしていますが、私は一粒の小さな種が地に落ちてやがて豊かな実を結ぶことを語られたイエス様のおことばを思い起こしました。人は何故、いのちの主であり、そのいとなみを私たち人間のために続けていて下さる神に心を向けず、ただひとこと「不思議」という答だけが返ってくるか、または昔からのことで当然だとしか考えないのは、何とも悲しいことに思うのです。

 私たちクリスチャンは、イエス・キリストの十字架が人の罪の身代わりであることを信じて、神に祈る心を与えられた者となって新しいいのちの力が与えられ、死の恐れからの解放、生きることの不安への根本的解決、孤独の殻からの救い出し、無意義な人生との決別、良心の呵責からの全き解放といったすばらしいプレゼントを頂きました。

 願うことは、一人でも多くの方が神と共に一日一日を送る、喜びのある人生に入って頂きたいということです。(依田次雄名誉牧師)