先行する恵み

 「主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。」(旧約聖書詩篇25篇12節)

 

先週、ケアハウスの朝の集いで、旧約聖書出エジプト記に載っているユダヤ人の偉大な指導者モ-セの、出生にまつわる貴重な記録の箇所を学びました。その頃ユダヤ人は虜となって、エジプトの地で苦しい毎日を送っていたのですが、それでも人口がどんどん増えたので、エジプトの王が、生まれてくるイスラエルの男児を殺すことを担当の助産婦に命じたところ、彼女たちは神を恐れていたので命令に従わず、男の子たちを生かしておいたという記事です。王の詰問に対して彼女らは、「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」と答えています。

 この説教を聴きながら、私は聖書の伝える神が天地万物の創造者であると同時に、すべてを知り、すべてについて可能な方であり、必要な時には人の歩みを導き、守る方であることを、改めて深く肝に銘じさせて頂きました。

 標題の聖書のことばは、その時頭に浮かんだのですが、全知の神は信じ従う者に警告を、或いは励まし等を聖書の沢山の実録の中から教えて下さることを、確認させていただきました。

 神の独り子であられるイエス・キリストの生涯を記録した新約聖書を読む時、またイスラエル民族の歩みを記した記事、旧約聖書の中の様々な人物と神様との関わりを読み知らされる時、個人、そして人類と深く関わりあって導いて下さる神の御意志に触れることができます。

 不肖私の88年の生涯を顧みる時、誕生、日曜学校、青年時代の入信、献身、地方伝道、結婚、妻との死別、そして現在のケアハウスでの生活、それぞれに神との関わり、上よりの語りかけの数々があったことを覚え、「すべての事について、感謝しなさい」(Ⅰテサ5:18)の聖句が頭に浮かんでくるのです。(依田名誉牧師)