「神のことば、聖書」

私たちは、いろいろな言葉を使って家族との交流や連絡、友人とのふれ合いなどを続けていますが、たいていの言葉はその時だけで、やがて忘れてしまいます。しかし、中には長いこと心に残ることばもいくつかあります。

 神のことばと言われる聖書は、時として不思議な力で人の心にとどまり続けることがあります。この事はクリスチャンの多くが経験しています。実は、聖書の中にそれを説き明かす文章が何箇所か載っています。
「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」(テモテへの手紙第二3章16節)
「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。」(ヘブライ人への手紙4章12節)
 どちらも新共同訳聖書からの引用ですが、たとえてみれば、私たち人間にとって聖書は心の鏡のような役割を果たす書物と言うことができます。鏡によって顔の汚れを見出し、体の疲れが具体的にわかったりします。また、ある人は聖書を読んで創造者の存在を信じるようになりました。このように、聖書の働きはさまざまで、良心に光をあてる、失意の時の慰め、不安と恐れを取り除く励まし等、クリスチャンになってからは、聖書は手放せぬ書物となるのです。

 聖書を人生の鏡、人格形成の師として手元におく、これに勝る幸いな生き方はないと私は思っています。


  今、四つのクラブ活動に参加しています。コ-ラスはテノ-ルが私一人で、年に4,5回礼拝の中で歌っています。習字は初めての行書に挑戦、平仮名の入った聖句をまっすぐに書くのに四苦八苦しています。リハビリ体操(30分)、聖書輪読と讃美の会(1時間)は、楽しくこなしています。前後しましたが、会堂建築、いろいろ難行のようですが、大過なく御栄えの現れるお仕事の進行と、諸行事の祝福のために祈ります。(2014.6.12記)