JECA中関東地区東地域 2014夏期聖会Ⅰ

7月20日(日)~21日(月)、阿字ヶ浦クラブでJECA中関東地区東地域 2014夏期聖会が開催されました。
講師は細川勝利師、テ-マは「主にとどまって生きる ~互いに愛し合う神の家族~」でした。

主にとどまる  ヨハネの福音書15章1~8節

 ヨハネの15章を共に学ばせていただくのですが、学ぶ理由の一つは、ヨハネ15章のイエス様の状況と、今の日本、世界の状況が似ていると、私自身が信じているからです。この箇所は、イエス様がこれから十字架にかかっていく、圧倒的な世の力が押し寄せ、イエス様がそれに立ち向かっていく時に弟子たちに語られた御言葉です。一方、世の力、サタンの力が圧倒的に押し迫っているのが今の日本や世界の状況であり、私たちはこういうところに立っています。ですから、この御言葉を通して、あの時の弟子たちがこの御言葉によってイエス様にしっかりと結びつく時、どんな世の力が押し寄せても何の力にもならないということを覚えていける、そのような者になりたいと願っているわけです。

 まず、ここで二つの事を覚えておきたいと思います。第一に、「立ちなさい。さあ、ここから行くのです。」という、いわば世に向かって出ていく進軍ラッパのような言葉(14:31)の後に、イエス様はぶどうの木のたとえ話をし、弟子たちを励まされたということです。第二に、13章から17章全体を見て、この箇所は13章の最初に書かれているように、イエス様の愛を弟子たちに余すところなく現わされているところだということです。

 さて、世と戦う力の源は、父と子と弟子たちの結合にあります。弟子たちが父と子と結合する、それはキリストによるのみです(1)。2節の言葉に弟子たちは自分たちが切り離される者なのか心配になりますが、イエス様は3節で彼らの心配を払拭されます。「あなたがたは、もうきよいのです」、ですから、弟子たちの中から取り除かれて焼かれる者はいないと言われます。「きよいのです」と「刈り込みをなさいます」とは、同じ言葉が使われています。刈り込みをされるものは、すでにきよい、実を結ぶものとされているものであり、幹についています。もはや取り除かれることはありません。ですから、イエス様は安心しなさいと、ここで語っておられるのです。

 次に、イエス様は「とどまりなさい」と言われます。4節は条件というより、イエス様と私たちとの関係は一方的に選ばれたからそれでいいというものではない、あなたがたは自覚的に私にとどまりなさいということです。私たちはキリストに選ばれている、愛されていると同時に、全力でキリストに信頼し、自分をささげて、自分の意志でキリストにとどまり従う、このような生き生きとした関係をもっていきたいですね。同時に、これは片方だけでは成立しません。「キリストにとどまり、キリストが私の中にとどまる」というのは、同時に起きる常態です。

 ここで、「とどまる」ことについて少し考えてみたいと思います。とどまるとは、いつまでも、永続的に、決して離れない、共にいるということです。また、性質が変わらない、動揺しない、生活するということです。キリストにとどまるを、キリストの中に自分のホ-ムをつくるとする訳もあります。私たちはいざという時キリストに頼らず、お金や名誉、健康、薬などに頼りがちですが、それはキリストにとどまっていないということです。また、キリストのことばにとどまるとは、キリストの十字架と復活にとどまることであり、キリストの十字架と復活がいつも自分の価値判断や決断になっているということです。

 では、キリストにとどまらなければどうなるのでしょうか。第一に、実を結ぶことができません(4)。自分を捨てた者が実を結ぶのです。第二に、キリストを離れては何もすることができません(5)。最後に、投げ込まれて燃えてしまいます(6)。これは私たちが傲慢になったり、自己中心になったりすることへの警告と忠告であり、全力で主に仕えるようにという励ましであり、また滅びる者にならないようにという招きの言葉でもあります。

 最後に、キリストにとどまる者のすばらしさを見てみましょう(7)。第一に、祈りがかなえられます。第二に、多くの実を結びます(8)。実は弟子たちを通して起こされる多くのキリストの民であり、一人一人の御霊の実でもあります。第三に、キリストの弟子になります。「弟子である」ではなく、「弟子となる」です。日々、弟子となり続けていくのです。第四に、父なる神様が栄光をお受けになります(8)。

 天の父なる神様、今日は中関東東地域の聖会を開かせて下さり、感謝します。あなたの民がこのように一つに集められて、共にあなたを賛美し、御言葉に聞く時を与えられ感謝します。この愚かな僕が語らせていただきましたが、足りない奉仕です。ゆるして下さい。そして何より、お一人お一人にあなたの御言葉が刻まれて、あなたの御言葉にしっかりととどまって、あなたの弟子となり続ける者として、そして子なるイエス様と、父なる神様の栄光を受けるための存在としてこの地上で用いて下さい。圧倒的な世の力が押し迫っている時、私たちをキリストにとどまって、この力に立ち向かっていく者として用いて下さるようにお願いいたします。(聖会Ⅰ)