神の恵みのわざ

今回は、私たちクリスチャンの信じている神様が人類のために成し遂げてくださった二つのみわざについて記します。それらは、専門用語で一般恩寵と特別恩寵と言います。前者は人間を含む万物創造のみわざ、後者は神から離れた人間が神を信じ愛する者となるためのみわざのことです。

 それでは、聖書を引用しながら説明いたします。
(1) 一般恩寵
 旧約聖書の創世記1章と2章には、神の天地創造と人類の祖アダムとエバの記事が記されています。また、新約聖書にはイエス・キリストの説教が載っており、「天の父は悪い人にも良い人にも太陽を昇らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださる。」(マタイの福音書5章)とあり、神は自然界の支配者であり、人間の成育に必要な諸条件を誰にも平等に与えて下さるお方であると語られています。このような神の恵み一般を総称して一般恩寵と名づけています。ここで付言となりますが、人はこのような創造主であり、今も支配者として働き続けておられる神の存在を信じるか信じないかによって、人生観が大きく分かれることになります。ちなみに、同志社大学の創立者である新島襄先生は、創世記1章1節の「初めに、神が天と地を創造した。」に感銘を受け、その後、神の愛を基にした教育のわざに励んで、偉業を成し遂げられたのです。

(2) 特別恩寵
 「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」(ヨハネの手紙第一3章16節)。
 私たちクリスチャンは、すべての人間が神を信じない心(罪と言う)を持っているため、神の遣わされた神のひとり子イエス・キリストが神の正義と愛を示す裁きの座(十字架)について下さったと述べる聖書のメッセ-ジを、過去のある時期に自分個人への神の語りかけと信じて、その信仰のあかしとして洗礼を受けています。この経験を「救い」と呼びます。
 神から離れた心を持って生まれて来る人間のために、そのひとり子をこの世に送り、やがてはすべての人の身代わりとなって十字架にお掛かりになられたイエス・キリストによる救いのためのみわざ、これを特別恩寵と言います。

 この二つの恩寵を信じ受け入れ、神を崇め感謝する生活を送る人こそ、まことのクリスチャンなのです。

私の生活は、相変わらず毎日の30分礼拝、聖書輪読会(金曜)、リハビリ体操、行事の時に発表するコ-ラスの練習、文化祭に発表する書道の練習(週2回、1時間半ずつ)を続けています。10月の創立記念集会(19年)の礼拝で2曲歌う予定で、男性は元教職3名でバスを担当します。湊の献堂式には、何とか出かけたいと考えています。(2014年8月20日 依田名誉牧師)