2016年新年聖会(2016.01.11)

 1月11日、JECA中関東地区・茨城県央区域にある教会(石岡、岩瀬、大洗、小川、笠間、那珂湊、水戸、八郷)合同の新年聖会が、笠間キリスト福音教会で開かれました。講師は武田遣嗣師、霜田実師でした。

聖会Ⅰ

(腹話術) 武田先生はじゅんくんに、羊と羊飼いのお話を始めました。

 羊飼いが羊を100匹飼っていました。ある日、とっても天気がいいので、羊飼いは羊をつれて(じゅんくん:芝刈りに?)、いやいや、野原に草を食べさせに行きました。羊たちはおなかいっぱい草を食べると、お昼寝を始め、夕方になるとおうちに帰ります。羊飼いは羊の数を数えました。

 1、2、3、…40、…50、…97、98、99、あれ?あのいたずら坊主のシロがいません!羊飼いは99匹を野原に残して、シロを探しに行きました(じゅんくん:よした方がいいよ。あと99匹いるんでしょ。1匹くらいいなくなっても。)なんだ、冷たいねえ。野原は夜になると狼や熊がでるし、寒くて凍え死んじゃうんだよ。(じゅんくん:大変だ、急いで助けに行こう!)羊飼いはシロを探して駆け出しました。あたりはだんだん暗くなって、寒くなってきました。その頃シロは一人ぼっちで、けがをして泣いていました。「シロ~、シロー~。」「メェ~。」か細い声がどこからか聞こえてきました。羊飼いはやっとシロを見つけ、肩にかついで大喜びで家に帰りました。

じゅんくん:でもシロちゃんが悪いんだよ。勝手に遠くに行ったりして。)そうだよね、羊飼いのおじさんにいつもついていないと、危ないよね。実はね、あの迷子の羊は私たち、羊飼いはイエス様のことなんだ。私たちが神様のことを忘れて一人で勝手に迷い出したのに、神様は私たちを見捨てないで助け出して下さるんだよ。私たちはいつも神様とくっついて生きたいね。(じゅんくん:うん、そうだね!)

(箴言16章1~6節)

私たちは目標を持って計画を立てますが、人生には思いがけないことが起きて、必ずしも計画通りにはいかないものです。聖書も、人の立てる計画は不確かだと言っています。昔、二丁ピストルのクローレーという凶悪犯がいました。彼が警察に捕まった時に発した、「自分の身を守っただけのことで、こんな目にあわされるんだ。」という言葉は、周囲の人を驚かせたそうです。彼は誰が見ても悪いことをしました。しかし彼は、自分自身が悪いとは思わないで、自分の道は正しいと思っていたのです。彼のような極悪人でなくても、私たちは彼のように自分がどれだけ間違った道を歩んでいても、それを正しいと思って突き進んでしまうのではないでしょうか(2)。時には、あの迷子のシロのように迷い出てしまうことがあります。私たちは、どうすればいいでしょうか。その答えは3節にあります。

 私たちの計画をゆるがないものにするには、神様に委ねることが必要です。それは第一に、神様の御言葉を聞きながら生きることです。先ほど腹話術で羊の話をしましたが、羊は目が悪いので、自分だけではどこにも行くことができず、羊飼いの声を頼りに移動するそうです。私たち人間は、神様の御言葉を無視して生きると、いつの間にかあのシロのように迷い出てしまう、聖書はそう教えています。御言葉を聞き、自分の心と計画がそれに矛盾していないか、常に注意したいと思います。第二に、大きな神様の計画を意識して歩むことです(4)。神様はすべての人間を、目的あるものとしてつくられました。私たちは、自分の心にある計画が神様の大きな計画に沿っているのか、常に意識して歩みたいと思います(ローマ12:2)。第三に、心の驕りを捨てることです(5)。神様は高慢な者(神様を求める心のない者)を嫌われます(ルカ18:9~14)。私たちは、神様の大きな計画に従って、自分の心に抱いていた計画を変えなければならない時があるかもしれません。そのような時、パリサイ人のような心でいたら、神様の大きな目的に素直に従うことができないのではないでしょうか。

 ただし、委ねるとは何もしないということではありません。私たちが充実した人生を送るためには、計画が必要です。聖書が警鐘を鳴らしているのは、御言葉や神様の大きな目的を無視して、自分の立てた計画にだけ従っていくことです。私たちは人生を計画的に、めいっぱい生きながら、神様に自分自身を委ねる者でありたいと思います。

 天の父なる神様、あなたは羊飼いのように、私たちを御言葉で導いて下さいます。私たちはすぐ自分の道を見失い、あなたから離れてしまう者です。しかしこの一年も、あなたが私たちを辛抱強く見守っていて下さい。あなたは、私たちを正しい道に歩ませて下さる唯一のお方です。あなたに、この一年間を委ねます。ここにいる一人一人に、あなたの豊かな豊かな祝福がありますように。(2016年1月12日 新年聖会午前 武田遣嗣牧師)


聖会Ⅱ

(申命記1章7節、民数記13章30節) 

「向きを変えて、出発せよ」、「必ずそれができるから」、この二つの御言葉を、新しい年の初めに、新年聖会のお土産として記憶していただきたいと思います。

 神様の救いがなされるために、神様は一つの民族(ユダヤ民族)を選ばれ、神の民として導いていかれました。ある時、彼らの住む地域が大飢饉に陥って、彼らはエジプトに逃げ、400年もの間奴隷として働きました。その時、神様はモーセという人材を起こし、彼に力を与えて、男だけで60万人というこの民族をエジプトから脱出させました(出エジプト)。そして神様が備えて下さる約束の地へ移動する旅が始まります。その旅の間に神様が語られた御言葉が「向きを変えて、出発せよ」であり、「必ずそれができるから」は民の中にいた信仰者カレブの言葉です。エジプト脱出後、民たちは不信仰を起こしたために、約束の地に入るのに40年もかかってしまいました。彼らは不信仰によって苦労が重なると神様を呼び求め、それに対し神様は彼らをゆるし、助けて下さるのですが、彼らが恵まれてくるとまた罪を犯す、その繰り返しでした。今の私たちも健康で経済的に恵まれ、対人関係にも問題がない時には、真剣に礼拝をしなかったり、祈りが疎かになりがちです。私たちは自分で苦労を呼び込むような状況にならないように、神様と密着した生活をすることが大切です。

 エジプト脱出後、長くホレブに留まっていた民たちに、神様は「向きを変えて、出発せよ」と命じられました。新しい一年を迎え、何から向きを変えればいいのか、教会としても個人としても考えてみる必要があります。去年と同じ生活は、努力しなくてもできます。どんなところが駄目だったかは各教会で違うと思いますが、何とかやり遂げたいというようなものをめざして、向きを変えて出発しようと心に決めていただきたいと思います。

 次に、民たちがカデシュまで来た時、モーセは約束の地を調べるために、12人の斥候を遣わしました。ヨシュアとカレブは神様の備えて下さった所に入るべきだと主張しましたが、残りの10人は約束の地はすばらしい、でも攻略は不可能だと報告、民たちは神様にずっと守られてきたことを忘れ、エジプト脱出を後悔し泣き騒ぎます。ヨシュアとカレブを殺そうともします。信仰による勇気ある発言が必ず受け入れられるとは限りません。またカレブの信仰の気力にも学びたいと思います(ヨシュア14:6~12)。私もあと4年で90歳になりますが、献身をした時の気持ちは少しも変わっていません。

 最後に、私たち地方にある教会はどうしたらよいでしょうか。第一は、新しい人を導くことです。求道中の方々がはっきりとした救いを体験できるように、皆でフォローすること、決心のチャンスをつくることが大切です。第二は、伝道のために総ぐるみで祈ることです。第三は献金です。Ⅱコリ8章には献金は恵みのわざだと書かれています。そして献金は量ではなく質です。イエス様はレプタ2枚をささげた女性に対し、大きな評価をしました。第四に、伝道牧会者のために祈りましょう。使徒でさえ、祈りの支援を求めているのです(エペ6:19、コロ4:2~3)。第五に、皆で牧師伝道者を尊敬し、支えていく必要があります(ルカ10:7、Ⅰテモ5:17、ヘブ13:17)。

 神様、あなたが今日、聖書の中にある御言葉「向きを変えて、出発せよ」と、チャレンジを与えて下さったことを感謝します。また、カレブが「必ずそれができるから」と主張したことを、私たちのスピリットにしていくことができるように、伝道と教会形成、そして主の御名を高めていくためのすべてのことに、このことが今年生かされますようにお願いいたします。(2016年1月12日 新年聖会午後  笠間キリスト福音教会 霜田実牧師)