いっしょに歌おう 第56回

「花は咲く」、「早春賦」、「どこかで春が」、「主われを愛す」(福音讃美歌52番)、「故郷」を歌いました。参加者は11名でした。


 今日は最初に、アメリカンジョークを一つご紹介します。ある漁師が、生きのいい魚をいっぱい捕ってきました。それを見た賢そうな旅行者が、「すばらしい魚だね、どれくらい漁をしていたの?」と尋ねました。漁師は、「いやいや、そんな長い時間じゃないよ」と答えました。「自分と家族が食べるには、これで十分なんだ」と言う欲のない漁師に、旅行者は、「それじゃあ、余った時間は何をするの?」と聞きました。「日が高くなるまでゆっくり寝て漁に出る。戻ったら子どもと遊んで、奥さんと昼寝をして、夜になったら酒を飲んでギターで歌を歌うんだ」。漁師がこう言うと、旅行者は「超エリートな私が、君にアドバイスをしてやろう。君は毎日もっと長い時間、漁をすべきだ。それで余った魚を売って、お金がたまったら大きな漁船を買う、漁獲高が上がって儲けが増えてくる。その儲けで大きな漁船団ができるまで、船を増やしていくんだ。そしたら、自前の水産工場を建てて、もっともっと大儲けしよう!」。漁師は尋ねました。「それぐらいになるまで一体、どれだけかかるの?」、「20年、う~ん、25年くらいかかるね。そうしたら引退して海に近い小さな村に住んで、日の高くなるまでゆっくり寝て、子どもと遊んだり、奥さんとお昼寝をして過ごして、夜になったら友達と乾杯して、ギターで歌を歌って過ごすんだ。どうだい?すばらしいだろう?」。

 これを説明しますと、漁師は自分と家族が食べるだけの魚を捕り、日々のささやかな幸せに満足していました。しかし旅行者は、もっと漁をして金持ちになるように勧めます。そして引退後の生活は贅沢に暮らす、でもそれは結局前と同じなのです。この話を聞いて私が思うことは、幸せって何だろうということです。この旅行者は、お金を持てば幸せになれると考えていました。でも漁師は、お金はあまり持っていなかったけれど、すでに幸せを手に入れていました。

乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました」(ピリピ4:11)。
パウロがこの言葉を書いた時、決して喜べる状況ではありませんでした。彼はローマで投獄されていたからです。なぜ彼は幸せだったのでしょう。それは、神様がパウロの心に平和、幸せを与えられたからです。それはどんなに状況が悪くても、変わることがありません。実は、私もこの神様の幸せを知った一人です。私は高校時代、「陰キャラ」(陰気なタイプ)と呼ばれていました。いじめられることもありましたが、聖書の神様に祈って御言葉を読んだ時、心がほっとしました。状況に関係のない幸せが与えられたのです。こういう経験があって、今私は牧師をしています。聖書の神様は、貧しい心を持っている人にやさしい方です。空の上から偉そうに見下ろしているのではなく、私たちのもとに下りて、私たちの罪のために十字架にかかって下さった方です。幸せとは何でしょう。神様と一緒にいる幸せがあることを、今日ぜひ覚えていただきたいと思います。

 天の父なる神様、あなたがいつも私たちを愛して下さってありがとうございます。あなたは私たちに、どんな状況にも関係ない幸せを与えて下さいます。恋人は別れるかもしれません。お金はなくなるかもしれません。ですがあなたは、いつも私たちと一緒にいて下さいますから感謝します。(武田遣嗣牧師)