遣僕使ブリュッセル便り(4)

 

『第33回ヨーロッパキリスト者の集い』報告②

 

 

 

前回、『キリスト者の集い』の全体的な様子を話しました。今回は、個人的に集会に参加したことで受けた恵みを話します。

 

 実はこの集会にはあまり参加したくなかったのです。その理由は、多量の服薬治療中であることと、費用は現在の小生たちからの生活からすれば、莫大であることです。

 

 しかし、参加して想像を超える恵みを頂きました。

 

  1.  ブリュッセルから会場の南ドイツの「バト・タイナッハ・ノイブラッハ駅」まで約8時間の列車旅行でした。その時の列車はケルンから、ほとんどライン川沿いで、川岸にある小高い丘に建つ古城を見ることが出来ました。ただ、ローレライには気が付きませんでした。

  2. 小生たちの後にブリュッセル教会牧師として遣わされる川上寧、真咲師夫妻と、初めてお会いし、ゆっくり交わり、祈りあえたことです。

  3. パリ教会、ウィーン教会、ロンドン教会、フランクフルト教会、フィンランドのロバニエミおよびヘルシンキ集会等、小生たちが奉仕したことのある諸教会の兄姉と再会し祈り合えたことです。

  4. 約20年前、シンガポール日本語教会におられ、現在デュッセルドルフで教会の役員をしている方が、挨拶に来られ「20年前シンガポールでいただいたみことばを忘れることが出来ません。ありがとうございました。」と言われ驚きました。また、同じように、KGKの全国集会でみことばを聞いた、と何人かが話してくれました。「みことば」は人を生かし、神の人として整えることを再確認させられました。

  5. 日本で長年奉仕されて、現在はドイツや英国で90才近くなっても日本人の救いのために労しておられる敬愛する宣教師と再会し、主の恵みを分かち合えたことです。

  6. 小生たちの姪の娘が、ストラスブール大学で行われている聖書を読む会に導かれていることです。世界的に有名なリュート奏者の今村泰典さんはスイスに住みながら、フランスのストラスブール大でも教えています。今村さんは留学生や在住の日本人に福音を伝えようと、約7年前にその会を始め、小生も一度そこで奉仕したことがありました。それで、姪の娘が3年前留学した時以来、何とか集会に出るように案内したり、今村さんにも誘うようお願いしていました。しかし、3年間実際のことはわかりませんでした。ところが今回、今村さんから、今年になって集会に来るようになったと聞かされ驚き、主は確かに祈りを聞いておられることを今さらながら教えられたのです。

  7. 最後は、ヨーロッパの日本語教会で奉仕している一人の牧師に会ったことです。参加者名の中に彼の名前を見たとき、小生たちが20数年前から知っている人と同一人物だとは思えませんでした。二人で「名前は確かに同じ字だ」と話し、20数年前の彼の顔を思い出しながら食事や集会の前後に探しました。すると、その時とほとんど変わらない姿の彼と再会し、主のみ名を共に賛美し祈り合いました。当時奉仕していた東京、杉並にある浜田山教会の最寄り駅にある教会案内の看板のみことばを見て、まだ学生であった彼が教会に来るようになりました。ところが、洗礼準備会に出席するようになった途端、教会から姿を消したのです。その後風の便りに、彼が牧師になったことを耳にしていましたが、正直よくわかりませんでした。今回、教会を去って以来、どのように導かれ、伝道者とされ、奥さんと3人のお子さんが与えられ、数年前からヨーロッパ日本語教会に携わるようになった経緯を詳しく聞かせてくれました。

    20数年前彼が教会を去った原因は小生だったのです。洗礼準備会で「改めてはっきり救い主イエス様の前に罪を告白し悔い改め、信仰を表明しましょう」と祈りを導きました。その時彼は「俺はそんなに罪びとではない」と思い教会を去ったそうです。しかし、主の御手は契約の子がどんなに逃げようとも見放さず確実に導き主の召しに生きるようにされました。さらに小生にとっては、小生の牧師としての失敗によって路頭に迷わせた羊を主ご自身が守り、育て、主の計画通りにされる憐れみに感謝することばかりでした。

     以上、予想だにしない主の恵みが次から次に与えられた集会でした。そして最後に、31()夕方シュトゥットガルト空港発の多くの便がキャンセルになり、空港内は大混乱しました。小生たちもその夜はシュツッツガルト市内のホテルが用意され、ドイツの清潔そのもののホテルに一泊の「恵みのおまけ」でした。