遣僕使ブリュッセル便り 最終回

 

7月8日に成田を発ち、9月20日に成田に着くまでが非常に長かった。正確には長く感じられた。これまで何度か、ブリュッセルとは違った日本語教会で3カ月間の留守番牧師をしたが、その時は長く感じるよりも、もう終わりで帰らなければならないのかと短くかつ早く感じられた。今回のブリュッセルのように長く感じられたのは初めてであった。その理由は投薬治療中ということである。「類天疱瘡」は快方に向っている途上とは言え、目に見えて一日一日良くなっているわけではない。その反対に悪くなる可能性もあり、その兆候が表れていないか毎朝夕体を調べなければならなかった。とにかく帰国するまで、今より悪くならないようにと毎日祈るばかりであった。

 

 

だから、ブリュッセル教会での奉仕がほぼ終わり、帰国の日を目の前にした時、心に油断が出来、ブリュッセル教会でも大きな失敗、罪を犯してしまった。今回も失敗で始まり、失敗で終わるという小生らしい奉仕ともなった。その失敗というのは、例の如く、小生の愛の欠如した言葉で教会の兄姉を深く傷つけたことである。それは最後の「昼食・聖書・祈り会」で兄姉に、小生たちが、兄姉の都合等を考えず、ひたすら小生たちのことだけを考えた言葉だった。

 

 

 アパートを出発するのは19日の朝830分の予定である。その出発時、教会の兄姉は誰もアパートには来ず、鍵は所定の所に置いて帰って下さいということだった。それが小生たちには非常に悲しかった。「この3カ月の奉仕は教会の兄姉に受け入れられてはおらず、来ない方が良かったのだろうか」という不安を抱きながら帰途につくのがつらかった。そこで集会の終りにその思いを伝え、「一人でいいですからアパートで見送ってほしい」と話したのである。その時は兄姉は申し訳ないが都合がつかないので来られないとのことで終わり、皆さん帰られた。

 

 

 しかし、その夜、小生たちのことばが兄姉を深く傷つけてしまったことが分かった。そこで初めてちょっとした油断から、自分を甘やかし、兄姉のことより自分たちのことだけを考えた愛の欠如した言葉だったことに気付いたのである。すぐに兄姉にお詫びを伝えた。18日午後の主日礼拝前にも皆さんにお詫びした。

 

 72歳になり、牧会生活45年目になっても、このように愛のない言葉で兄姉を傷つけ苦しめる牧師である。いつになったらこのような失敗、罪を犯さなくなるのだろうか。このような者をこれまで忍耐をもって用い続けて下さっている主に、唯々申し訳なさと感謝るばかりである。また、こんな者を牧師として受け入れて下さったブリュッセル教会の兄姉はじめ、今まで牧師として奉仕させていただいたすべての教会の兄姉の寛容と愛に感謝するばかりである。今回のブリュッセル教会兄姉を愛のない言葉によって深く傷つけたことで気付かせられ、45年間の奉仕は100%主と兄姉の忍耐と愛によることだと、小生たちの魂にしっかりと刻まれたのが、今回の奉仕の宝となった。