旭川と川(旭川・緑ヶ丘便り7)

 

「旭川」は1890年(明治23年)920日、北海道庁が内陸部の開発をするために「旭川村」をつくったのが始まりとされている。その名は「忠別川」のアイヌ語を語源として「旭川」と呼ぶようになったという説がある。確かなことは「旭川市」に「旭川」という名の川はないことである。

 

 一方、「旭川市」には川がたくさんあり、水の都とさえ言えそうである。全国的によく知られている「石狩川」そして「忠別川」「美瑛川」「牛朱別川」の四つの大きな川をはじめ、支流等約140本の川がある。川がこのようにあるため約760の橋があり、「橋の街」でもある。

 

 小生たちのような新参者は川と橋の位置が覚えられず市内全体の道路で戸惑うのである。しかし、橋がなかった時代は川によって文化や人の交流は妨げられていただろうが、今はたくさんの橋によって川が何本もあっても旭川を一体化しているに違いない。小生たちボケ老人ながら、イエス様のあわれみによって、夫婦、親子、教師と生徒、上司と部下、友と友を結ぶ小さな橋にされるように祈っている。

 

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コメント: 1
  • #1

    鈴木光代 (月曜日, 28 11月 2016 00:17)

    細川先生ご夫妻が旭川の教会と聞いて驚いています。お体を案じています。
    三浦一徳・陽子が転勤で今日札幌入りしました。
    何かでお世話になるかも知れませんがその折には宜しくお願い致します。