「旭川便り」長期休みの原因(旭川・緑ヶ丘便り9)

 

 いつからか「旭川便り」を書いていない。その原因は昨年12月初旬から体調を大きく崩したことである。元々「下垂体前葉機能障害」「類天疱瘡」という難病を抱えて旭川に来た。その日(1020日)から雪になり、旭川としては例外的に11月に雪が多く、観測史上最も早い根雪開始日となった。

 

 澄代は駐車場確保のために朝早くから除雪をした。多量の投薬治療中と雖も少しは手伝わなければ心苦しい。それで猫の額ほどの広さの除雪をした。それが体力の低下している小生には覿面に影響した。インフルエンザに感染、口の中にはカンジダ菌がはびこり水を飲んでも痛くなる。そのため約2週間、ほとんど食事が摂れない。毎夕食後のデザートタイムも持てない。1218日の礼拝奉仕もできなかった。新年を迎えた頃に少し食べられるようになり、15日定期健診のため那珂湊に戻った。検査の結果「脱水状態」「栄養状態が悪い」とわかり、水分と食事をしっかりとるように言われた。

 

 

 126日旭川に戻って間もなく、左足大腿が突然激痛になった。それ以来、ほぼ毎日である。痛みが始まると数時間身動き一つできない。足を少し動かすことも姿勢を変えることもできない。25日の主日は、未明4時ころ始まり9時になってもおさまらず、説教奉仕を断念し、教会の役員に原稿を代読してもらうほかないと考えていた。が、少しずつ痛みが和らぎ体も動くようになった。そして唯唯主の憐れみによって説教奉仕をさせて頂いた。

 

 

 その後も突然痛みは起こり、夜中、2時、3時ころから椅子に座り朝を待つ日が多い。種々の検査でも原因が判らず、医者も「あなたのような痛みは初めてだ」と言う。小生にとっては耐え難い痛みなので「痛みが来た時のための薬を欲しい」と頼むが、「これ以上は出せない」と言う。「それではどうすればいいのか」と聞くと「耐えてもらうほかありませんね」と平然と言う。医者本人は患者の痛みを味わわないのでこんなことを言えるのに違いない。普段、夕食後のデザートタイムから就寝までは、一日の中で最も心安らぐ時である。しかし、現在の小生にとって、夜中にいつ激痛が起き、数時間耐えなければならないかを思うと、ベッドに就く時が一番不安で心乱れている時である。

 

 長々と見苦しい状態を書いてしまったが、これが「旭川便り」長期休みの原因である。

 

 

 こんな状態でも、激痛との付き合い方を少しずつ修得し、何より主の愛の御手による支えにより、「便り」を書こうとの思いが与えられたことを感謝している。そこには背後の多くの兄姉による祈りがある故であることを、改めて覚えさせられている。

 

「私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈って下さい。」エペソ620