水道凍結、奇跡の解凍(旭川・緑ヶ丘便り10)

 

 小生たちは15日に那珂湊に帰り、26日に旭川に戻って来た。昨秋1020日に着任した時と同じように、教会の斎藤姉が空港に迎えに来てくれた。前回は昼食を共にしてから宿泊所に連れて行ってくれたが、今回は昼食なしでアパートに来た。

 

 一緒にお茶をと部屋に入ってもらい、澄代が準備を始めた。出掛ける前に水落としをしたのでまず水抜き栓を回さなくてはならない。が「動かない!」と叫ぶ。斎藤姉も確認したがやはり全く動かない。水道が凍結してしまったのだ。アパートの緊急窓口に連絡すると「業者に頼むほかない」と言う。費用は5、6万だそうだ。しかもずっと冷え込んだ日が続いて凍結事故が多く、すぐ来てくれる業者はないだろうとのことだった。澄代は我が家にある暖房器具を全部使って温めた。その後、何度か緊急窓口からもアドバイスをもらったが、全く水の出る雰囲気ではない。友人で、旭川市役所に勤めていた花香兄なら業者につてがあるのではないかと連絡した。早速、夫婦でドライヤー持参で駆けつけて部屋を見てくれたが、やはり無理との結論であった。知り合いの業者に連絡してくれたが今日中は無理で翌日一番に来てくれるということになった。花香夫妻が帰ったのが6時過ぎであった。

 

 さて、水がない状態で一晩生活することは不可能である。食事等はコンビニやレストランでどうにかなる。が問題はトイレである。こんな時、人間にとって最も重要なことは、自らの内から出す「便尿」を処理することだと知らされる。小生は夜、数回トイレに行く。一晩ホテルに泊まるほかないかと考えた。

 

 その間、澄代は外の雪を鍋に入れて湯にし、トイレのタンクの中の氷を溶かそうとしていた。そのうちレバーが動くようになり、一、二適水が落ちるようになった。そして糸のように細く出始め、だんだんと太くなり、トイレの水は出るようになった。トイレさえ水が出れば飲食などはどうにでも出来るのでホテルに泊まらなくて済み、斎藤姉にも花香夫妻にも連絡し安心してもらった。

 

 小生たちもホッとし、とにかく食事をと出ることにした。澄代は反対したが、部屋を暖め水道管を暖めるため暖房を最大にして出かけた。食事から帰ったのが9時半頃で、トイレ以外からも水が出るとの淡い期待を抱いていたが、まだダメだった。あきらめず部屋を暖めていると10時半すぎ、台所の蛇口からチョロチョロと水が出始め、ゴボゴボと音を立てて濁った水が出、そのうちきれいな水が出て来た。

 

 「主よ感謝します!」と叫びたい思いである。また、昼食に行かなかったのはこの水の凍結に早く対処できるためであった、ともわかった。主は人間的には全く不可能な状態からでも、こうして水を出るようにして下さった。人間に最も必要な水を与えてくださるのは主である。モーセに率いられた民に必要な水を岩からでも、砂漠の地でも与えて下さったのは主である。主が凍結した水道を熱い愛をもって溶かして下さったことに感激した、旭川復帰一日目であった。凍結騒動は「主こそ水の源だ」と知る恵みの時になったのである。

 

「しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことはありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり永遠のいのちへの水がわき出ます。」ヨハネ4:14