いっしょに歌おう 第68回

「春が来た」、「しゃぼん玉」、「ふしぎなポケット」、「おぼろ月夜」、「主にまかせよ」(福音讃美歌386番)、「ふるさと」を歌いました。参加者は20名でした。近隣のグループホームの皆さんが飛び入り参加して下さり、にぎやかな集いになりました。

 

 

星野富弘さんは中学校の教師でしたが、クラブ活動の指導中頸椎を損傷し、手足の自由を失いました。しかし入院中、口に筆をくわえて絵や詩を書くようになり、現在も創作活動を続けています。星野さんの詩を一つご紹介しましょう。

 

「たんぽぽ」
「いつだったか きみたちが空を とんで行くのを見たよ 風に吹かれて ただ一つのものを 持って旅する姿が うれしくて ならなかったよ 人間だって どうしても必要なものはただ一つ 私も 余分なものを捨てれば 空がとべるような気がしたよ」

 

私には、「余分なものを捨てれば 空がとべるような気がしたよ」という言葉がとても心に刺さりました。私たちはお金があればとか、もっと賢ければとか、健康だったらなどと思ってしまいがちですが、この詩は、余分なものを持っていないことが逆にパワーになることがあると教えています。例えば、少し前に断捨離が流行りましたが、これのいいところは、部屋が片付くだけでなく、心もすっきりすることです。部屋に本当に必要な物だけを置くことによって、私たちの生き方も、本当にやるべきことへ向かっていくのだそうです。

 

さて、聖書に書かれているイエス様は、余分なものを捨てることによって力強く生きた方でした。イエス様は人の罪を救うべく、十字架にかかるためにこの世界を歩まれました。ですから人々に、「私たちの王になって下さい」と言われてもことわりました。人を罪から救うという一つのことを全うするためです。聖書に、「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。」(ルカ620)という言葉があります。多くのものを持っている生き方は、定まらない生き方になってしまいます。でも余分なものを捨てる生き方は芯の通った、天国に続く生き方だというのです。大切なもの一つを持って歩む生き方を、私たちもしてみたいと思います。

 

天の父なる神様、私たちにはほしいものがたくさんあります。でも余分を持っていないことが、私たちの生きる原動力になることもあるということを、今日学びました。ここにいる一人一人が、自分の人生の大切な使命一つのために生きることができるようにして下さい。一人一人に、神様の豊かな祝福がありますように。(武田遣嗣牧師)