若き伝道者と共に(旭川緑ヶ丘便り22)

 

 緑が丘教会で約22年間牧会されたルツ・デュエック宣教師(カナダ人、OMF=国際福音宣教会)は、164月、定年で退任された。このデュエックさんから14年の教会連合総会時に、「16年に自分は緑が丘教会を退任するので後任に来て欲しい」と要請された。しかし、小生たちは難病を抱えて体力的にも知力にも、何よりも霊的にも衰えていると自覚しているので、本格的に牧師になることは不可能だと話した。小生たちに出来るのは、後任の牧師を招く準備をする中継ぎの働きに限られることを申し上げた。それで、教会で祈って頂き中継ぎ牧師として緑が丘に来ることになった。実際には164月からではなく、先に約束のあったベルギーのブリュッセル日本語教会での中継ぎを終えて、1610月末に旭川に来た。 

 

 とにかく、小生に与えられた使命の中心は、若い後任牧師を招くための準備である。だからベルギーに行く前から各神学校に17年から奉仕可能な学生がいるかを尋ねた。もし17年が無理なら18年春から可能な学生の有無を尋ねた。結局、既に16年はもちろん、17年春可能な学生はどこの神学校にもいないということになった。それでもブリュッセルから帰国して再度神学校に電話したところ、一つの神学校で可能性がある学生が一人いることが分かった。

 

 旭川に来てから約20日後、1110日頃、札幌に行くついでに北海道聖書学院に寄り、その学生に会った。大人しそうであり、芯のしっかりした雰囲気の女性であった。教会からの願いを率直に話した。それは

 

 「雨露をしのぐ所もなく、生活費もないかもしれない。ただ、無から有を生じさせる主を信じ、行き先を知らずに主に従ったアブラハムのように、ただ主にのみ信頼して主に従ってまいりますと主に告白出来たら、緑が丘教会の要請に応えて下さい」と話した。それから一ヶ月半ほどしたクリスマス前に、その学生から「主の導きと信じ、ただ主に頼って緑が丘に参ります」との連絡をもらった。

 

 教会の兄姉は驚いた。17年春から若い伝道者が与えられると考えられなかった。だから「16年春に与えられるように祈りましょう」と言ってそう祈りつつも、毎週の週報には「二年後(つまり18年)に与えられるよう祈りましょう」と記載され続けていた。それでもとにかく主は教会にこの春から若い伝道者を送って下さった。謝礼は全くないかもしれないと知ったとしても、十分に出来なくても主がして下さることを信じて経済的に準備も主がして下さった。住まいも、考えもしないある伝道者所有のマンションを使わせてもらうことになった。主に信頼する時、主はその信頼に応えて下さることを具体的に緑が丘教会の小生たちに示して下さった。小生たちは見ないと信じない。だから、折角主がしてくださることを見ることが出来ない。逆に、見なくても信じる時、主がして下さることを見ることが出来る。

 

 

 

もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。

 

            ヨハネ、1140

 

 

 

現在、主が送って下さった若い伝道者は共に歩み始めている。若い伝道者にとって祖父のような小生たちと共に歩むことはいろいろ戸惑ったり、嫌なことがあるだろう。しかし、それをも含めて、一年後、彼女が牧会者として一人立ちするために訓練として用いられると信じている。これから主がどのように育てられるのかが楽しみであると同時に、この若い伝道者によって小生たちもまた変えられ、育てられ、少しでも主の民とされてゆくことを信じて楽しみである。