まさかの誕生日(旭川緑ヶ丘便り24)

 

 まさか73才の誕生日を旭川で迎えるとは思わなかった。まさか73歳まで行かされるとは思わなかった。まさか73才まで牧使の務めを与えられるとは思わなかった。

 

 201767日は、小生の73回目の誕生日である。この日を迎えて何より考えさせられているのが前記の三つの「まさか」である。何とも不信仰な思いだろうかと思うが、正直なところである。

 

 1975年から1993年まで札幌にある北栄キリスト教会で奉仕をさせて頂いた。今日の小生があるのはこの18年間の北海道での同労者、先輩、宣教師、兄姉によると心底感謝いる。そんな北海道を去る時、小生の中には北海道を裏切る者、逃亡者という自責であった。だから、いつかは恩返しをしたいという思いと、「裏切り者、逃亡者」は受け入れられないだろうと思っていた。しかし、今、現実に受け入れられ旭川で誕生日を迎えている。「まさか」であるが、この背後に神様の忍耐と配慮、そして同時に同労者、先輩等々の、主にある寛容あってこそと思わされる。

 

 まさか73才まで行かされるとは思わなかった。2006年に中咽頭癌になった。舌根部に癌が出来た。当初放射線治療によって癌を小さくした後、舌の半分ほどを摘出する予定だった。ところが医師たちも驚くほど放射線の効果があり、癌が小さくなり、摘出手術を止め放射線治療だけを続ける方針に変更した。それが功を奏して、外科手術をせずに寛解状態になった。癌は医師たちの全力の治療と主の御手によってなくなった。が、放射線や抗癌剤の副作用は出た。歯はすべてダメになり、23年後総入れ歯になった。脳下垂体、視床下部、甲状腺のホルモンを司る器官が放射線で異常になり「下垂体前葉機能障害」という難病。さらに2015年暮れ、パリ日本語教会で奉仕中に「類天疱瘡」が発症した。中咽頭癌以来11年になる。癌の時には、まさか11年も生かされるとは思わなかった。総入れ歯になったり「下垂体前葉機能障害」や「類天疱瘡」になり、体力、知力、霊力は衰え、顔も「ムーンフェイス」になり、まさかこんなに長く生かされるとは。

 

 病よりも、前述のような状態で牧会の働きをさせて頂けるとは思ってもいなかった。60才になる前、まだ元気な時でも「60才から70才くらいまで、これまでの恩返しに田舎で無牧の教会があり、若い牧師を招くための中継ぎ牧師をさせて頂ければ嬉しい」と考えていた。ところが「元気」とは程遠い状態で、普通なら牧師の責任を担えない状況で牧会をさせて頂いているのである。「まさか、まさか」の大感謝である。主の憐れみによる外ない。と同時に、教会の兄姉の忍耐と祈りによるものである。さらに主は、今春5月から神学校を卒業したばかりの佐藤愛美さんを伝道師として遣わして下さった。小生の出来ない所を補うために遣わして下さった。また来春から牧会の責任を担うために遣わして下さった。神様は至れり尽くせりで、こんな小生を73才で「まさか」の牧会に召して下さっている。

 

 過ぐる12週間に、二人の同世代の伝道者の友人を小生たちの所に送って下さった。一人は渡邉賢治さん、もう一人は太田和功一さんである。渡邉さんとは同じ神学校だが学年違いで個人的には殆ど交わったことはなかった。43年ぶりだったが、今回が初めてのようであった。タイ宣教師等を経て、今は全世界の必要に応じて巡回しておられる。書道、折り紙、卓球等、あらゆるものを用いて伝道しておられる。

 

 一方、太田和さんは長く学生伝道をされ、国際関係でも奉仕された。現在は「クリスチャンライフ成長研究」で牧師等クリスチャンの霊的訓練のために全力を尽くしておられる。1968年に小生がキリスト者学生会のクリスマスで信仰に導かれたとき、太田和さんは主事であった。それ以来KGKOMF等で共に奉仕させて頂いた。お二人は奉仕の仕方はことなるが、与えられた賜物で主と人々に仕えておられるのである。ただただ敬服するばかりである。

 

 同世代でも、健康状態は異なる、奉仕のスタイルも違う。小生はなにも主のために役立つものがなく、生かされているのが申し訳なく思うことばかりである。しかし、今回、渡邉さん、太田和さんと親しく交わる時を通して、とにかく主が生かしてくださることを感謝して生きるのが小生の使命かと考えさせられている。何も出来ないが生かして下さっている主を喜び、感謝して生きることだと、この誕生日に確認したのである。