遠方より友来る-宣教師たちとの再会-(旭川緑ヶ丘便り27)

 

北海道の札幌ならば訪ねて来る人もあるいはいるだろう。しかし、同じ北海道でも旭川となれば、特に冬期間、訪れる人はほとんどいないと思うのが常識である。

 

 ところが、去年10月下旬に旭川に来て、今日まで、全く予想しなかった遠来の友が来てくれたのである。本州にいても、ほとんど会うことのなかった方たちであるが、この旭川だから会えたのかも知れない。その人達を紹介しよう。

 

1.有沢達郎宣教師

 

 有沢さんは、現在OMF の宣教師で、タイのミエン族宣教のために奮闘している。奥さんのたまみさんと約30年奉仕している。

 

 小生たちが旭川に着任して間もなく、有沢さんたちは市内の教会に招かれ旭川に来られた。その時小生たちがいることを知り連絡をくれ、小生宅で昼食を共にしつつ神の家族の交わりを楽しんだ。何十年振りの事であった。彼らも、そろそろ退職後の歩みのために祈り始めているとのことに驚いた。

 

2.渡邉賢治巡回師

 

 渡邊さんは市内の教会での奉仕に招かれ旭川に来られた。小生たちのことを知り、連絡を下さった。

 

 実は、これまで神学校が同じというだけで具体的に交わりもなかった。1972年に卒業して以来、牧会をした後、タイに宣教師として遣わされた。その後米国に留学したり、よく宣教し、よく学ばれた。今もハーモニカ、折り紙等、あらゆるものを用いていつでも福音を伝えておられる。

 

3.中田智之宣教師

 

 中田さんは小生より神学校3年先輩である。つまり小生が入学した時卒業された。だから普通はあまり交わりがないことが多いが、中田さんの最初の赴任地が小生の故郷香川県だったこともあり、交わりが与えられた。中田さんは宣教地に赴く前の訓練として香川県での開拓伝道の後、長年の祈りだったブラジルの日系人伝道に遣わされた。40年以上前のことで、日本の教会、特に戦後のいわゆる「福音派教会」にとって海外宣教の草創期である。中田さんはそのパイオニアの一人であり、今尚、熱い思いでブラジルの日系人伝道をしておられる。

 

 中田さんは人を恐れず言うべきことをはっきり言う方で、小生も同じところがあると誤解して下さり、非常に親愛感を抱いて下さる。今回も小生が旭川にいるとのことで、日高から態々来て下さったのである。

 

4.上沼昌雄牧師

 

 上沼さんは現在、アメリカのロサンゼルス近くに住み、「バイブル&セオロジーミニストリー」という宣教をしておられる。神学校一年先輩で、神学校時代から教師たちに反抗したりした。卒業後はKGKの主事をしたり、牧会をしながら神学校教師もした。

 

 ある時、米国の沖縄政策や世界戦略に関して議論し、意見の違いから交わりは○○になった。ところが、そんな事とは知らない上沼さんの滞在していた家の方が連絡下さった。人の思いを超えた交わりの回復となった。

 

5.片岡栄子さん、山本史子さん

 

 片岡さんは現在都下に住んでいる。かつてKGKの総主事だったご主人とシンガポールJCF牧師として赴任したが、僅か2年後に癌を発症し、約一年の、奇跡としかいえない闘病のあと、帰国後1週間で召された。栄子さんはその後、ご主人の遺志を継いで若い夫婦やいたむ人たちのために労しておられる。

 

 山本さんは、片岡伸光牧師が召された当時シンガポールJCFの役員をしておられたご主人と共に、JCFのために仕えておられた。小生は片岡さんの記念礼拝に招かれた時初めて山本夫妻に会った。その山本さんが、去年8月突然召された。小生たちがブリュッセル教会で奉仕していた時に連絡があった。あの元気印の山本さんが召されたと聞いて言葉を失った。

 

 今回、片岡さんと山本さんは連絡を取り合い、お二人で旭川に来て下さったのである。一年前ご主人が召された山本さんを、かつて20年にそれを経験した片岡さんが寄り添って支えておられた。山本さんがご主人の思い出の写真などを見せてくださった。山本さんとは20年振りだったが、いつも共に神の家族として祈り合っているような交わりが与えられた。