新生二回、死一回の人生

 

 イエス・キリストが宣教活動をなさった初めの頃、ユダヤのサンヒドリン議会に属するユダヤ人の指導者ニコデモが、ある夜イエス様の所に来て、自分の抱いている尊敬の念を告白したのですが、その際イエス様が語られた大切なお言葉が、ヨハネの福音書3章に記されています。

 

 それは「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」です。

 

 学究を究めたと思われるニコデモは、その後キリスト教の重要な教理となったこのご発言を理解することができず、見当違いな質問をしています。

 

「もう一度母の胎にはいって生まれることができましょうか」(34節)。

 

イエス様は、人類の祖とも言うべきアダムとイブが罪を犯したときから神から離れる精神を持つ存在となった人間の救いを願うお気持ちで語られたのですが、心の奥深くの恢復のためのメッセージは、当初のニコデモには理解できなかったのでした。

 

そして今に至るまで、人類の歴史は神への不信の罪の力に影響され続けています。

 

一方で、イエス様の教えられた新生のメッセージは、選ばれた弟子たちの宣教、とりわけ聖書のみことばによって伝え続けられてきました。

 

使徒パウロのコリント人への手紙517節には「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」とあり、また、彼のガラテヤ人への手紙615節には「大事なのは新しい創造です」とあります。

 

然し、新約聖書の最後のヨハネの黙示録218節に「第二の死」のさばきを受ける者たちについて列記されているのが恐ろしくもあり、大変気になるのです。「しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。このみことばの指摘に該当する人々は新生二回死一回ではなく、新生一回死二回ということになります。詳しいことはともかく、一人でも多くの方が新生二回死一回の神の子人生(クリスチャン)に入ってほしいと真剣に願うものです。

 

 

 

4月の誕生会では、私と同じ引退牧師の方とCS用の動く紙芝居を上演し、二人でCS讃美歌「ことりたちよ」を歌い、また全員讃美には、ヘンデルの「いざひとよ」(聖歌168番)を選びました。

 

こちらに入居して間もなく8年、一番有難いのは食事、それも栄養の計算されたものなので、健康が守られていることです。那珂湊の皆さんには、陰の祈りにあずかり、大変感謝しています。皆様の努力が実ることを心から祈らせていただきます。(2018510日 依田次雄名誉牧師)