フーテン僕使ウィーン便り④

 

 前回、ウィーンの空の美しさを述べた。今回は空気と風の美しさと言うか、美味しさということを述べよう。

 

 言うまでもなく「空」と「空気」と「風」が切り離せないことは、漢字からも解るものだろう。「空」が美しく爽やかであれば「空気」も美しく爽やかだろう。逆に「空気」が美しく爽やかであれば「空」も美しく爽やかであろう。

 

 ウィーン空港に降り立ち空港の建物を出た時、何より空気が違うと思った。体を取り巻く空気が軽いのである。口や鼻から入って来る空気が軽く、からだの内外が喜んで迎え入れているように感じた。そして空が澄んでいるように空気も澄んでいるようだ。

 

 と同時に「風」が輝いている。「空気」も輝いている。ルーテル教会の中庭に大木があるが、その葉が陽に照らされて輝いている。それは日に照らされて輝いていると言うより、「空気」が輝いているのであり、「風」が輝いているとしか言いようがない。感動的であり「空気」と「風」が一体となって葉を輝かせ、揺り動かしているのに見とれてしまう。教会にいる兄姉に「ほら見て! あの木の葉や空気と風の輝きを見て!」と叫んでしまうのである。

 イエス様が「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない」(ヨハネ3:8)と言われた聖書のことばを思わされた。イエス様が言われた「風」は「聖霊様」のことである。これは聖書では「風」「聖霊」「気」も同じことばである。私たちに与えられている聖霊様(風)はウィーンの空気と風のように美しく美味しいのだと思わされている。こんな美しい風が私たちを取り囲んでいるように、体の内に入り生かしているように、神様の御霊が私たちを取り囲み、体内に住み生かして下さっていることを、今更ながら感謝と感動を与えられている。