フーテン僕使ウィーン便り⑰

 

⑰ブラスチラバ(スロバキア)訪問

 

 

 

 小生たちはウィーン教会奉仕は3回目だが、これまでの2回とも特に観光ということはしなかった。体調が悪く歩くのは杖をついてやっとだからという理由もあるが、元々観光にはあまり関心がないのだ。

 

 ところが次女が来た翌日、スロバキアのブラスチラバに行こうと言う。スロバキアの首都で、オーストリア国境に接し、ウィーンから列車で約1時間だと言うのだ。小生は東欧ではチェコスロバキア、ハンガリー、ポーランドなどという国名を知っていた。そして何年か前に「チェコスロバキア」が「チェコ」と「スロバキア」に分かれたことも何となく知っていた。しかし、いつそれぞれの民族が独立したかは知らず「スロバキア」がどこに位置しているかも知らなかった。首都がどこかも知らなかった。今回次女が言い出して初めてスロバキアの首都が「ブラスチラバ」と分かった。

 

 午前845分に牧師館を出て地下鉄でマイドリング駅まで行きそこから938分発のブラスチラバ行きに乗り、1030分頃着いた。途中は大部分、麦畑やヒマワリの畑が広がる大平原であった。日本の本州にはない、北海道の景色であった。到着した駅舎も周辺も、新しい建物で新興都市と言ったところだった。そこからバスで10分ほどで、古い街並みや歴史的な建造物があった。14世紀時代の町の門の塔があった。門の下に世界各都市の方向と距離が刻まれていた。ウィーンは50数キロしか離れていない。東京は9千数百キロであった。城壁の跡も少し歩くことが出来た。

 

 何より驚いたのは、世界各国からの観光客で狭い道は大混雑していたこと。また、狭い路地も広い道も両側にはスロバキア料理の店があり、そのテラス席が所狭しと並べられていること。その観光客のひしめく両側の建物の窓から、世界各国の旗が掲げてあることであった。大使館が狭い範囲に集中していた。

 

 古い城壁の残っている所の教会に行くと、丁度12時のミサが始まるところだったので参加した。4人の神父の所作にも興味を持ったが、何よりたくさんの地元の信徒が参加していることに感心した。その人達の信仰の姿に教えられた。終始厳粛であり、そこには「霊とまことをもって」礼拝する姿があり、礼拝堂は御霊に満ちているように思われ、小生も思わず膝まづかずにはいられなかった。神の家族は一つであることを身体的に味わった。「ブラスチラバ」観光と思っていたが、主を、かの地の人と共に神の家族として味わった一日となった。

 

左:ウィーン→ブラスチラバの列車、往復で16ユーロでした。

右:ブラスチラバで。14世紀からの街の門