いっしょに歌おう 第83回

「かえるのうた」、「しあわせなら手を叩こう」、「知床旅情」、「さんぽ」、「主我を愛す(讃美歌461番)」、「故郷」を歌いました。参加者11名のほか、電車を待つ間に歌を楽しむ方もおられました。

 

 

 オーストリアは第一次大戦前約650年、八つの民族から成るハプスブルク家によって統治され、特に中心地ウィーンでは個性豊かな文化が育まれました。

 

 さて私は今回、聖書以外何の本も持たずにウィーンに行きました。そして牧師館にある本や、教会員の方々の本をお借りして読みました。そこで教えられた音楽家のことをお話したいと思います。

 

 私はウィーンに行くまで、モーツァルト、ベートーベン、リスト、シューベルトはみんなドイツ人だと思っていました。しかし本によれば、モーツァルトのお父さんはドイツからザルツブルグの音大に入り、当地の女性と結婚してモーツァルトが生まれたそうです。つまりモーツァルトは生粋のオーストリア人ではないのです。ベートーベンのおじいさんはベルギー生まれですがドイツのボンに移住、ボンで孫であるベートーベンが生まれました。ですからベルギーの人は、ベートーベンをベルギー人だと主張しています。またリストはハンガリーの人であり、シューベルトは純粋のウィーン生まれです。牧師館から5分くらいのところにシューベルト公園という公園がありました。そこにはシューベルトの最初の墓があったそうです(現在は中央墓地というところに移され、ベートーベンの隣の墓に葬られています)。このように、ウィーンにはいろんな民族の人々が集まり、それによって美しい音楽がつくられていることがわかりました。

 

 また、モーツァルト、シューベルト、ベートーベンは、在世中はあまり評価されませんでした。神童と言われたモーツァルトでさえ、35歳で亡くなる時には困窮をきわめていたそうです。二万人の会葬者が集まったベートーベンは、シューベルトほど困窮していませんでしたが、耳の病に苦しみました。シューベルトは多額の借金を残し、わずか31歳で亡くなりました。

 

 では、彼らは何のために音楽を作っていたのか、それは神様のすばらしさを表わすと同時に、人々の喜びと慰めのためでした。しかも彼らは音楽の賜物を誇ることなく、謙遜そのものであり、その賜物は神様から与えられているのだと考えていたのです。私自身、決して体調は万全ではありません。しかし、苦しみつつも音楽家たちが神様の栄光のために生きたことに大変励まされました。

 

 私たちが今こうして生かされていることも、与えられているものも、すべてが神様によります。神様は私たちに賜物を与えて下さっています。その賜物をよく管理し、神様と人のために用いて仕えましょう(Ⅰペテ410)。

 

 天のお父様、今日こうして歌う会で、共にあなたをほめたたえる時を与えて下さり感謝します。そして僕にこんなことを話させていただき、ありがとうございます。あなた様は私たちそれぞれに、賜物を与えて下さっています。それを用いて、神様と人に仕える毎日を送らせて下さい。そして、その中で与えられる喜びがあることを感謝します(細川勝利師)。