いっしょに歌おう 第84回

「むすんでひらいて」、「山の音楽家」、「赤とんぼ」、「旅愁」、「つきせぬ喜びを注がれる主よ」(福音讃美歌11番)、「故郷」を歌いました。

出席者は7名(ほか途中参加 4名)でした。

 

 「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています(Ⅱコリント416)」

 

 パウロは年をとるということに対し、とてもポジティブな人でした。身体は衰えていっても、新たにされるところがある、と教えているのです。

 

 聖書には、知恵は年をとるごとに増し加わっていくと書かれています。知識とは百科辞典に載っているような情報のことですが、知恵とは知識や体験をうまく使って、人生をより良く生きていく力のことです。IT関係の知識のように、知識の面で若者に勝てない、ということがあるかもしれません。しかし現代の若者の中には、知識をたくさん持っていても知恵がない、人生をうまく生きていく力がない人がいます。ひきこもりとか、自殺があったりします。

 

 さて、パウロが年を重ねても勇気を失わず、希望を持ち続けた理由は、彼がいつも天国を見つめていたということです。神様を信じるパウロにとって、死は終わりではありませんでした。彼は死後、神様と天国で一緒に住む日々があることを知っていたので、石を投げられたり投獄されても、喜びを失いませんでした。

 

 「終活」という言葉があります。キリスト教的終活とは、死について考えるだけでなく、死の後の天国を見ながら、神様を見つめながら歩んでいく生き方です。930日には、「キリスト教的終活」をテーマに、講演会を開きたいと思っています。講師の大和昌平先生は仏教学の教授でもあり、キリスト教だけでなく、幅広い知見をもって「終活」について語ってくれます。ぜひご一緒に、「終活」について考えてみましょう。

 

 天の父なる神様、ここにいる一人一人が天国を見つめて、他のために喜びをもって生きることができるようにして下さい。(918日 武田遣嗣牧師)