心に恵みの御言葉を 使徒の働き20章32節

今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。(使徒20:32)

 

 

 パウロは世界を旅する人であり、彼の旅は波乱万丈でした。今日はパウロがエペソのクリスチャンに送った32節と、この節が語られるまでの流れを学びたいと思います。

 

 エペソは、現在のトルコに当たる地域です。パウロはここで二年間も住み、エペソのクリスチャンとの間に深い絆が結ばれました。しかしパウロはエペソ滞在中、神様から次のステップに進むよう導かれました(1921)。彼はエペソからマケドニアを通り、エルサレムからローマに行くことになりました。当時、ローマは世界の中心であり、ゼウス、ポセイドンと言った異教の神々が信じられ、そこで宣教するパウロに命の保証はありませんでした。しかし彼は、次のステップとしてローマへ進むことを決断しました。そのような中、エペソのアルテミス神殿で模型を作る職人たちが騒ぎを起こしたため、パウロはエペソを離れ、アカヤにいるクリスチャンを大いに励ましてエルサレムに行こうとしました。この時、彼の頭をよぎったのはエペソで十分に別れを告げられなかったエペソのクリスチャンたちでした。エペソに再度入るのは危険だし時間もなかったので、パウロはエペソの隣町に船を停め、エペソの教会のリーダーたちに大切なことを語ったのです。新しいステップでは鎖と苦しみが待っていて(2223)、しかもパウロはエペソの人たちともう会えないことを知っていました(25)。彼は苦しい未来を知りながら、なぜ新しいステップへ向かおうとしたのでしょうか。それは、彼が人には走るべき道のりがあることをよく理解していたからです(24)。またパウロは、エペソの長老たちの中から曲がったことを言う者が現れるとも言いました(30)。それならもっとエペソに留まって、長老たちを教えるべきではないでしょうか。しかし彼はそれ以上に、自分が走るべき道のりがどこまでなのかということに集中していたのです。神様はこの新しい一年、私たち一人一人に走るべき道のりを用意しておられます。私たちはこれを心に留めましょう。パウロのもとに集まったエペソの長老たちにも、走るべき道のりがありました(28)。これは容易ではありません。エペソは一度暴動が起こったような町です。さらにパウロは、彼らのもとに二度と戻らないと言うではありませんか。誰が私たちを導いてくれるのか、長老たちの不安は最高潮に達していたでしょう。そんな時彼らにかけられた言葉が2032なのです。

 

 パウロはエペソの教会を、神と神の御言葉に委ねました。神の御言葉こそ、エペソ教会が走るべき道のりを走り切ることを助けてくれるからです。御言葉は走るべき道のりを照らし、その道を乗り越えることができるように私たちを成長させてくれます。エペソ教会には、いつでもわき道にそれる危険がありました。それはエペソの町に同化していくことです。イエス様を神と言わない、復活を否定する、エペソの人に受け入れやすいように福音をゆがめていくわき道がありました。私たちにも走るべき道のりのわきに、走りやすそうな平坦なわき道があります。しかしそれは破滅に続いていきます。私たちには、私たちを愛して、正しい道に導く神様の声、御言葉が必要ではないでしょうか。

 

 恵みの御言葉(32)とは、受けるに値しない者に、恵みとして御言葉が与えられているということを表しています。私たちの手元には、パウロとエペソ教会を助けた御言葉、牢屋に入れられ鞭打たれるような困難を乗り越えさせた御言葉が、同じように恵みとして与えられています。私たちは新しい旅立ちの時を迎えています。恵みの御言葉を受け取って生きていくことを決断しましょう。

 

 皆さんにとって、走るべき道のりは何か、どうやって神様から必要な御言葉を聞くでしょうか。暫し黙想しましょう。

 

 「あなたの御言葉はわが足のともしび、わが道の光です」。恵み深い天の父なる神様、先の見えない人生を明るく照らす恵みの御言葉が、私たちに与えられていることを感謝します。私たちがあなたからの恵みの御言葉を日々受け取って、親しむ一年として下さい。主と共に走るべき道のりを邁進していく一年として下さい。(201911日元旦礼拝 武田遣嗣牧師)