管理者の務め ペテロの手紙第一4章7~11節

【新改訳2017】
Ⅰペテ
4:7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
4:9 不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。
4:10 それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。
4:11 語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。

 

 ペテロの手紙は、小アジア地方に散らされた小さな群れ、まだ弱小のキリスト教会にあてられた手紙です(11)。当時クリスチャンへの圧迫や迫害だけでなく、クリスチャン内部にも混乱や争いが起きかねない状況でした。このような危機的状況にある教会に対し、今日の箇所は、賜物が大切であると教えています。

 

 まず、「万物の終わりが近づきました(7)」は、6節までの話を受けています。キリストの死と復活、即ちあがないとさばきを意識し念頭に置く者は、キリストに救われた者らしく、また世界の歴史の終わりの時代に生きるのにふさわしく、絶望することなく、心身を整えていきます。これまでの生き方は、3節に書かれています。しかしキリストによる救いは罪をゆるし、きよめ、神の子どもとし、新しい地へ招き入れ、神のよいわざに励むように導きます。ですから、クリスチャンたちは感謝と感動をもって心を整え、身を慎み、神のわざに励みたいと願うのです。では、クリスチャンが励むわざとは何でしょうか。

 

 その第一は、祈りです。聖書は、心身を整えることは鋭い識別力や正しい判断力のためではなく、祈りのためだと教えます。終わりの時代、私たちが第一に導かれることは祈りです。祈りは大切だとわかっていても、本当に祈りにうちこむことは容易ではありません。私たちは祈ろうとする時、祈りより優先してしまうものがあります。また誰かのために祈ろうと思っても、浴びせられた嫌な言葉や信じられない行動に幻滅し、その人のために祈る気が失せてしまうこともあります。祈りを妨げるものは多くあります。私自身があがなわれ、ゆるされた者であること、キリストはあの人を大切にし、いのちを捨てたこと、そういった神の救い、あがない、さばきを正しく理解し心身を整える時、祈りの準備が整うでしょう。

 

 第二は、愛することです。「何よりもまず」(8)は注目に値します。教会が教会として生き残るために、最も重要なことは愛です。愛は多くの罪をおおうからです(箴言1012)。これは、愛が罪による憎しみや争いを防ぎ、無効にするということでしょう。もし悪口を言われ、意地悪をされたとしても、それにやり返さず、死に至るまでおおい隠すことができたら、それによって起こる憎しみや争いは断ち切られ、終わりになります。悪いものを放置してよいというわけではありませんが、一つ一つに目くじらをたてないことも、神の知恵だと思わされます(伝道者72122)。

 

 第三は、互いにもてなし合う(9)ことです。これはキリスト者が地方から地方へと旅する時に、安全で安心できる宿を提供すること、また「互いに」とあるので、同じ教会の中でのもてなしについて書かれたのかもしれません。

 

 第四は、賜物を用いて互いに仕え合う(10)ことです。仕え合う前提は、量や質に違いがあっても、それぞれが賜物を受けているということです。私たちのからだの各器官が十分に働かなければ、成長はおろか、日々の活動もままなりません。生きのびることができなくなります。このペテロの手紙が送られた教会は、危機的状況にあり、教会が生きのびるためにそれぞれが十分に働く必要がありました。そのやり方は、神の様々な恵み(賜物)の良い管理者として、ということです。賜物は、それぞれに与えられた能力を指すこともありますが、救いの恵みといった、神からの一方的な恵みとしての賜物を指す場合もあります(ローマ623)。私たちに与えられている賜物はいのち、それ自体であり、また様々な種類の能力、それらを用いる機会であり、それらを良い管理者として生かす責任が私たちにあります。管理する賜物の例として、語ることと奉仕することが挙げられています(11)。これは言葉と行いということで、私たちがすべきことを包括的に示していると思います(コロサイ317)。

 

 私たちが賜物を生かし、互いに愛し合う時、教会が生きのび、私たちの信仰生活が守られていくのですが、聖書はそれにとどまらない、広大で絶大な栄光につながると教えています(11)。教会が守られ、一致が保たれることは、神が崇められることになる、栄光と力が世々神、キリストにささげられ、その栄光に私たちも照らされる、私たちの信仰生活は神の栄光につながっているのです。

 

 天の父なる神様、あなたは私たちの信仰生活のために、それぞれに賜物を与えて下さいました。それらを用い、生かす時に、あなたの教会が生き、活動し、あなたの栄光と力が世々限りなく現わされていきます。主よ、どうぞあなたの栄光を見させ、私たち一人一人を奮い立たせ、また互いに励まし合って、地上での信仰の歩みを全うすることができますように。あなたが建てられた那珂湊キリスト教会が新たな活動をなし、あなたの光となって私たちを照らし、またこの町を照らしますように。(2019120日礼拝 水戸下市キリスト教会 渡部和彦牧師)

 

☆本日は水戸下市キリスト教会との講壇交換で、渡部和彦牧師にメッセージを取り次いでいただきました。