主のまっすぐな道を進もう 使徒の働き13章4~12節

【新改訳2017】
使
13:4 二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、
13:5 サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた。彼らはヨハネも助手として連れていた。
13:6 島全体を巡回してパポスまで行ったところ、ある魔術師に出会った。バルイエスという名のユダヤ人で、偽預言者であった。
13:7 この男は、地方総督セルギウス・パウルスのもとにいた。この総督は賢明な人で、バルナバとサウロを招いて神のことばを聞きたいと願った。
13:8 ところが、その魔術師エリマ(その名を訳すと、魔術師)は、二人に反対して総督を信仰から遠ざけようとした。
13:9 すると、サウロ、別名パウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、
13:10 こう言った。「ああ、あらゆる偽りとあらゆる悪事に満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。
13:11 見よ、主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」するとたちまち、かすみと闇が彼をおおったため、彼は手を引いてくれる人を探し回った。
13:12 総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った。

 

 アンティオキア教会は、断食と祈り、また礼拝の中で神様の御声を聞いて、バルナバとサウロを第一次伝道旅行へ送り出しましたが、これは教会の決断であると同時に、神様の御心(聖霊によって送り出され)でした(34)。つまり、教会が十分に御言葉と祈りから神様の意志を受け取って行動した結果、神様の意志と教会の意志とが重なったのです。このような可能性があることは、私たちにとって大きな励ましです。今日も私たちは礼拝と祈り、御言葉を聞く中で、神様の御心は一体何なのか、共に考えていきたいと思います。

 

 さて、最初の目的地はキプロス島のサラミスでした。サウロとバルナバは、計画的に旅行を進めたことがわかります(5)。やみくもな伝道ではなく、聖書の言葉が伝わりやすい、大人数に一気に福音を語れるような場所から伝道を始めたのです。そして、ヨハネを助手として連れて行きました。ヨハネはマルコとも呼ばれ、バルナバの従兄弟、同じキプロス出身でした。しかし、彼は伝道旅行をリタイアしてしまいます(1313)。聖書にはこの理由が書かれていませんが、様々なことが考えられます。例えば、5節の「神のことばを宣べ伝えた」は、原語では「宣べ伝え続けていた」であり、彼らは島に到着してから、ひたすらイエス様を宣べ伝えるだけの生活を送っていたようです。伝道旅行は体力的、精神的に厳しかったのではないでしょうか。また、キプロス島はヨハネの故郷です。伝道は、近しい人ほど勇気がいるのではないでしょうか。とにかく、ヨハネは伝道旅行の厳しさに根をあげて、途中で帰ってしまいました。このことは、後にパウロとバルナバの議論に発展し、二人は第二次伝道旅行を別々に始めることになりました。しかしパウロの晩年、ヨハネは立派に成長し(Ⅱテモテ411)、「マルコの福音書」を書き、それが今に至るまで教会に用いられています。第一次伝道旅行は、計画的で熱心なものでしたが、ほころびがありました。助手ヨハネが途中で帰ったことは、伝道旅行の大きな痛手だったでしょう。しかし、最悪の経験が神に用いられる可能性があることを、私たちは覚えておかなければなりません。教会は失敗を嫌う傾向がないでしょうか。「使徒の働き」は大局的に見ると成功物語のようですが、細部を見ると失敗やイレギュラーがたくさん書かれています。しかしその中で、神様に信頼して歩んできた教会や個人の姿に学ぶことができます。

 

 次に、偽預言者バルイエスについて見ていきましょう(6~)。総督(7)とは、ローマから派遣された島のトップで、あらゆる権力を握っていた人物ですが、彼に偽の神の言葉を教えていたのがバルイエスです。しかしこの総督は、サウロとバルナバからも神の言葉を聞きたいと願っていました。聖書は、この総督を「賢明な人」と紹介しています。この世の価値観なら、聖書の御言葉に依り頼む人は、自分の意志で何も考えられない人だと思うかもしれません。しかしここでは、自分がこれまで積み上げてきた知識や常識に胡坐をかくのではなく、神が何を仰っているのかを聞く、そういう人を賢明な人だと言っています。バルイエス(魔術師エリマ)は、この総督を信仰から遠ざけようとしました。そこでパウロは、彼を「あらゆる偽りとあらゆる悪事に満ちた者」(10)と呼びました。実際、バルイエスが強盗や殺人、すべての悪事を犯してきたという意味ではありません。彼があらゆる悪事の根源、心の汚れ、罪を持っていたということを表しているでしょう。また彼は、主のまっすぐな道を曲げることをやめない者でした。偽預言者は旧約から新約まで、ずっと世界に存在していました。彼らは魔術で人々を驚かせ、人々の興味を得てから、人々に都合の良い甘言を並べたてました。そして人々を神様から離すのです。私たちも神様から離れさせる言葉を人に話してはいけないし、外からの攻撃にも気をつけなければなりません。そして聖書は、偽預言者には厳しい罰が与えられることを語っています。11節は、彼には手を引いて導く人がいないことを表しています。私たちもバルイエスと同様、悪事の根源である罪を持っています。聖書は罪の結果は死であると教えています。死を越えて導く神(詩4814)が私たちの神でなければ、私たちを救うことはできません。死を越えて私たちを導き、まっすぐな道を進ませる神に信頼する一週間を歩みたいと思います。

 

 最後に、次のことを思い巡らしましょう。

 

①私たちは最悪の状況であっても、神を待ち望むことができるでしょうか。

 

②私の導き手はこの聖書の神様でしょうか。

 

 天の父なる神様、私たちがどんな状況に陥っても、神様を待ち望むことができる恵みをありがとうございます。パウロは牢に入れられ、最悪の状況の中で、私はどんな状況にあっても満ち足りることを学びました、と告白しました。私たちにも、常に神の恵みがあります。主よ、どうぞその恵みにいつも心を留めることができますように。また、私たちの心に、すべての悪事の根源となる罪があることを改めて教えられました。私たちは神様以外のものを、自分の人生の中心に据えてはいないでしょうか。いつも神様を中心に、人生を歩んでいくことができるように導いて下さい。(2019224日礼拝 武田遣嗣牧師)