暁を呼び覚まして 詩篇57篇1~11節

【新改訳2017】

[ 57 ]
<57> 指揮者のために。「滅ぼすな」の調べで。ダビデによる。ミクタム。ダビデがサウルから逃れて洞窟にいたときに。

57:1 私をあわれんでください。神よ。私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。私は滅びが過ぎ去るまで御翼の陰に身を避けます。
57:2 私はいと高き方神を呼び求めます。私のためにすべてを成し遂げてくださる神を。
57:3 神は天から助けを送って私を救い私を踏みつける者どもを辱められます。セラ神は恵みとまことを送ってくださいます。
57:4 私のたましいは獅子たちの間で人の子らを貪り食う者の間で横たわっています。彼らの歯は槍と矢彼らの舌は鋭い剣です。
57:5 神よあなたが天であなたの栄光が全世界であがめられますように。
57:6 彼らは私の足を狙って網を仕掛けました。私のたましいはうなだれています。彼らは私の前に穴を掘り自分でその中に落ちました。セラ
57:7 神よ私の心は揺るぎません。私の心は揺るぎません。私は歌いほめ歌います。
57:8 私のたましいよ目を覚ませ。琴よ竪琴よ目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。
57:9 主よ私は国々の民の間であなたに感謝しもろもろの国民の間であなたをほめ歌います。
57:10 あなたの恵みは大きく天にまで及びあなたのまことは雲にまで及ぶからです。
57:11 神よあなたが天であなたの栄光が全地であがめられますように。

 

 この詩篇は、ダビデがサウロから逃れて、洞窟に隠れた時のことを背景に書かれたものですが、美しい言葉に彩られています。その一つは「御翼の陰」です。多分、上空に猛禽が飛んでいるのでしょう。必死に親鳥の翼に隠れる小鳥たちの姿が(1)、ダビデの姿と重なります。あの親鳥は何だろうか、この洞窟は神様が備えて下さった逃れ場ではないか、神様はあの親鳥が自分の子を翼の陰に隠すように、私を御翼の陰に隠していて下さったのだ、と感動したのでしょう。神様はいと高き方ですが、高みに上って冷たく人間の愚かな生き方を見下ろしている方ではありません。ダビデは、「天から助けを送って」(2)と記しています。ダビデの心の中には、成し遂げたい計画があり、それが彼の心を重く覆っていました。そのような時に洞窟の中にいて、自分は閉ざされているという思いだけではなく、天を見上げ、そして天から助けを送って下さる神様の身近さを覚えながら、「主は成し遂げて下さる」と希望を見出していきます。

 

 周囲は、ダビデ王を貪り食おうという獅子たちで満ちているかのようでしたが、ダビデは、自分が御翼の陰に守られていることを覚えると、そのような危険や苦難のただ中ですら、横たわることができると言っています(4)。神様が助けて下さるという希望に気づいた人は、どんな状況にあっても心に平安が与えられ、横たわって休むことができ、問題が解決したわけではありませんが、神をほめたたえていきます。苦難がなくなってから平安をいただくのではなく、苦難の中にあってなお平安がある道を見出していくことができる、これが主にある平安なのだと、私たちは教えられます。

 

そして、網をしかけた獅子たちを、ダビデはじっと見て動きません。動じることなく彼らのすることを見ていたら、自分で作った罠にかかって滅んでいくのでした(6)。人を罠にかけようとする態度、行い、思想は、結局その人自身の失敗を引き起こす、人を迫害し、追い落とそうとする人々は、自分たちで攻撃し合って自滅していくのだ、ダビデはこれに気づいたのです。このような神様の摂理、なさり方がわかった時、ダビデは「私の心は揺るぎません。私は歌い ほめ歌います」と言いました(7)。

 

さて、もう一つの美しいフレーズは「私は暁を呼び覚まそう」(6)です。悪人の自滅と、自分が守られていることを感じたダビデの喜びは爆発します。喜びは讃美を生み出し、早く朝が来ないだろうか、と自分の心に呼びかけるのです。朝が待ち遠しい、神様は新しい一日にどんな恵みを準備して下さっているのだろう、こういう思いが57篇後半に綴られています。洞窟にいたダビデは今日一日をどう過ごそうかと悩むのではなく、天に向けられ、神の栄光が全地を覆うようにとほめたたえるようになりました(911)。私たちもまた、神様が私たち一人一人を御翼の陰に隠して下さるということを深く覚え、そしてそこから全地に向かって神をほめたたえる讃美の声をあげていくのだと祈り、期待していきましょう。

 

愛する天のお父様、あなたは私たち一人一人を親鳥が覆うように私たちを守り、私たちを導いて下さる神様です。私たちはあなたの守りに支えられ、あなたがして下さる恵みの数々を、小鳥が親鳥に願うようにあなたの前に祈り、期待して一日一日を過ごしたいと思っています。主よどうか、集う者一人一人のうちに御手を伸ばして、その心を整えさせて下さい。(2019331日礼拝 石岡キリスト教会臼井信博牧師)