いっしょに歌おう 第91回

「ちょうちょ」、「さくらさくら」、「花」、「みかんの花咲く丘」、「かいぬしわが主よ(福音讃美歌303番)」、「故郷」を歌いました。参加者は9名でした。

 

 二人の姉妹、マルタとマリアが自宅にイエス様を招きました。姉は色々な準備で大忙し、妹は、イエス様の話をじっと聞いています。姉が「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください」と言うと、イエス様は「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません」と答えられました。本当に必要なこと、それはマリアのようにイエス様の近くに行って、みことばを聞くことでした。フェルメールの「マリアとマルタの家のキリスト」は、このような背景を持った絵です。(https://bijutsufan.com/baroque/pic-vermeer/1650-2/)

 

 フェルメールは結婚の翌年この絵を描きましが、住んでいたオランダの町で火薬の大爆発が起こり、市内の三分の一が消失し、作品の多くを失いました。また当時は風俗画が流行し、キリスト教絵画が売れなくなってしまいました。11人の子どもを抱えた彼は、貧しい生活を余儀なくされ、次第に風俗画を描くようになりました(「牛乳を注ぐ女」など)。しかし彼は死ぬまで神様を信じ続けて、風俗画を描きつつもキリスト教的なメッセージを絵に含ませたそうです。「マリアとマルタの家のキリスト」には、当時オランダの人々が食べていたパンが描かれ、この絵がキリスト教絵画から風俗画への過渡期に描かれたことがわかります。借金に追われていた彼に、「必要なことは一つだけです」というメッセージは、彼にどのように届いていたのでしょうか。神様は、どんなに忙しくても一度立ち止まって神様に近づき、みことばを聞くことを求めておられます。クリスチャンはなぜ、毎週一回教会に行くかというと、マリアのように神様の前に一度立ち止まるためなのです。

 

 天の父なる神様、ここにいる一人一人は本当に忙しい毎日を送っておられると思いますが、あなたが本当に大切なこと、必要なことに気づかせて下さい。そして元気に人生を歩んでいくことができるように、安らぎを与えて下さい。(2019.04.16 武田遣嗣牧師)