御霊にあって生きる ローマ人への手紙7章6節

【新改訳2017】
ロマ 7:6 しかし今は、私たちは自分を縛っていた律法に死んだので、律法から解かれました。その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。

 

 この書簡の主題は「義人は信仰によって生きる(117)」ですが、7章には、イエス・キリストを信じ、罪をゆるされた者は、律法から解放されていること、その結果、新しい御霊によって仕え、主の前に実を結んでいく生涯を送るようになると記されています。

 

 特に6節で注目したいのは、「しかし今は」ということばです。この表現は62022の他、81(しかし今)、321(しかし今や)にも見られます。聖書は、私たちが神につくか、神につかないか、イエス・キリストによって救われているか、救われていないか、つまり中間はなく、人間はどちらかに属していると言うのです。実は、私は救われて後、その確信がない時期がありました。しかし3章を通し、はっきりと救いの確信をいただくことができました。

 

 さて、キリスト教と無縁だった私は、20歳の時、友人を通して聖書を読むようになりました。「はじめに神が天と地を創造された」(創11)と、「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」(マタイ633)ということばにびっくりしました。私は当時高校を卒業し、サラリーマンとして一生懸命働いていました。でも何のために働くのか、人生の目的が何なのかわかっていませんでした。友人に教会に連れて行ってもらい、五か月後にイエス・キリストを信じる決心をしました。普通、教会に行くと人は明るくなるものです。ところが、これは良い証ではありませんが、私は教会に行き始めても明るくならなかったのです。母から私のことを、「教会に行く前の方が良かった」と言われたほどです。モーセの律法、イエス・キリストの生涯を見る時、私は自分の罪を意識するようになりました。自分はだめだという罪意識が大きくなる中で、「しかし今」(321)が改めて響いてきました。神の義とは律法を学び律法を守って生きることではなく、イエス・キリストを信じる信仰によって信じるすべての人に与えられる義であり、イエス・キリストの救いのわざを通して私たちに与えられるプレゼントだということがわかった時、喜びと平安が与えられましたし、それこそ自分が生きる基盤であるとつくづく思わされました。

 

 また最近、Ⅰコリ118を通し、私が何かをできるかではない、この十字架のことば、イエス様が私のために死んでよみがえって下さった、そこに現された神様の義、愛、救いのわざを宣べ伝えること、そして弱い者、取るに足らない者を選んで下さったのだということを教えられ、献身に再び立つことができました。

 

 しかし、私がもしイエス・キリストの時代に生き、あの群衆の中にいたら、私もイエス・キリストを「十字架だ。十字架につけろ」(ルカ2321)と叫んでいただろうと思います。真理を求め、その道を雄々しく歩んでいこうと思っていた私が神を知り、イエス・キリストを知れば知るほど、あこがれを抱きつつもこの方を好ましく思わなくなりました。それは、まだ救いがわかっていなかったからです。自分を神とし、私が王座に就くことを良しとしない方を抹殺する、そういう恐ろしい罪が自分にあることを思わされました。十字架は、神の前にいかに人間の罪が恐ろしいものかを教えるものではないでしょうか。また十字架は、神が罪を徹底してさばくという現われでもあります。しかし十字架の事実は、神が罪を犯す者を愛し、ゆるしを与え、救いをもたらすことをはっきりと示しているのです。

 

 恵み深い天の父なる神様、聖書を通して、イエス様のご生涯を通して、その死を通して神様を知り、神様の御前に自ら罪深い者であることを教えられて感謝をいたします。しかし、このような罪深い者をあなたは愛して下さって、御子イエス・キリストを通して救いのわざを成し遂げて下さいました。あの十字架の死とよみがえりは、まさに罪人である私のためであったことをもう一度思い起して感謝いたします。そしてイエス様を信じる信仰によって、この地上における生涯を歩ませていただいております。私たちは救いの全貌をまだ体験していませんが、主が再臨を通して救いを完成し、あなたと相まみえる希望が与えられていること、そしてイエス様の御姿に変えられていく希望を与えられていること、確かにあなたのご真実が約束のゆえになされることをもう一度覚えて感謝いたします。どうぞいつも十字架の主を仰ぎながら、みことばに教えられ、変えられながら、一歩一歩あなたの道をあなたと共に歩んでいくことができるように励まし、導いて下さい(2019519日礼拝 牛久福音キリスト教会田村勉牧師)

 

☆本日の礼拝は、牛久福音キリスト教会との講壇交換で、田村勉師にメッセージを取次いでいただきました。