童謡・唱歌・讃美歌を歌う会第92回

那珂湊は大雨でしたが、通常通り歌う会を行いました。「こいのぼり」、「茶摘み」、「夏は来ぬ」、「翼をください」、「主われを愛す」、「故郷」を歌いました。参加者は6名でした。

本日は教会のO姉妹が証をして下さいました。

(今月以降、「いっしょに歌おう」から「童謡・唱歌・讃美歌を歌う会」に名前を変更します。)


6:25 ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。
6:28 なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
6:30 今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。
6:31 ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。(マタ6:25~31)

 

 

母が残した手記

 母の死後、未だ片付けがすんでいない母の書類の中から、母がクリスチャンになる前に書いた手記(原稿用紙)を見つけました。それは1980年頃に書かれたもので、「私は本当に肉親に縁が薄いのかもしれない」、そんな悲痛な叫びで始まる手記でした。母は実の両親がわからず、養父母に育てられました。自分の生い立ちも含め、人生に対する寂しさに落ち込んでいたのでしょう。母は結婚して兄と私を授かりましたが、父が他の女性に心を移して離婚となり、私を引き取って、シングルマザーとして女手一つで育ててくれました。そんな私は33歳で離婚し、長男を母に見てもらいながら働き続けました。2歳違いの兄は父の所にいましたが、母のことを恨んでいました。喧嘩の末に縁を切ると言ったり、私の勝手な生活にも怒っていました。

 

神様によって変えられた母

 母が残した手記は、「私はこの家族の家政婦となって働こう」、そんな悲しい決心で終わっていました。私はそれを読んでポカンとしてしまいました。亡くなる前、母はいつもニコニコ感謝して、「ありがとう、ありがとう、蟻が十匹」なんて笑いながら冗談を言っていたからです。けれど、やっと気がつきました。母は神様によって変えられたのです。現実に飲み込まれ不満だらけだった母は、神様によって少しずつ整えられ、感謝できる人に変えられたのです。

 

母から私たちへの手紙

 手記に書かれた悲痛な叫びは、感謝に変えられました。最近になって私の長男(母にとって孫)とこの手記を読みました。長男はクリスチャンではありませんが、母が神様によって「変えられた」ことを信じている様子でした。二人で「変えられたんだね」と語り合いました。母は他人に見せる意図でこの手記を書いたのではありません。しかしこの手記を、母が私たち家族に残した「手紙」(福音)として、大切にしていきます。