失敗も用いる神様 使徒の働き15章30~41節

【新改訳2017】
使
15:30 さて、一行は送り出されてアンティオキアに下り、教会の会衆を集めて手紙を手渡した。
15:31 人々はそれを読んで、その励ましのことばに喜んだ。
15:32 ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、力づけた。
15:33 二人は、しばらく滞在した後、兄弟たちの平安のあいさつに送られて、自分たちを遣わした人々のところに帰って行った。
15:34 【本節欠如】
15:35 パウロとバルナバはアンティオキアにとどまって、ほかの多くの人々とともに、主のことばを教え、福音を宣べ伝えた。
15:36 それから数日後、パウロはバルナバに言った。「さあ、先に主のことばを宣べ伝えたすべての町で、兄弟たちがどうしているか、また行って見て来ようではありませんか。」
15:37 バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。
15:38 しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。
15:39 こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、
15:40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。
15:41 そしてシリアおよびキリキアを通り、諸教会を力づけた。

 

 本日は、パウロとバルナバが激しい議論になった箇所を読みます。まず、パウロはバルナバに2回目の伝道旅行を提案しました(36)。エルサレム会議で、信仰による救いなのか、

 

信仰プラス行いによる救いなのか議論がなされ、信仰による救いこそ真理であるという結論が出たのですが(15章)、会議の後、混乱していた教会に再度信仰による救いを宣べ伝える、これが2回目の伝道旅行の当初の目的でした。パウロは信仰の救いを語って、教会を混乱から救い出す、その緊急を要する使命に燃え上がっていたのです。しかし、パートナーであるバルナバが、思ってもみなかったことを言い出しました(37,38)。マルコは、1回目の宣教旅行を途中で投げ出し、帰ってしまった人物です。バルナバは、若いマルコにもう一度チャンスを与えて育てたい、という気持ちがあったので、2回目の伝道旅行に連れて行くと言ったのですが、パウロは大反対しました。大切な、また緊急を要する伝道旅行なので、マルコを育てている場合ではない、むしろ一人でも多くの人に信仰による救いを伝えなければならない、パウロはこんな風に考えていたと思います。

 

二人の意見はどちらも筋が通っていて、答を出すのが難しい問題でした。「激しい議論」(39)の原語には、激昂、憤怒という意味があり、感情がぶつかり合う激しい議論であったことがわかります。結局二人共折れることなく、伝道旅行を二つ計画することになりました。バルナバと一緒に出発したマルコは、後に立派に成長して「マルコの福音書」を書いたとされています。また、パウロにも役に立つ存在だと言われるようになっていきます(テモテ411)。ですから、バルナバがマルコを見捨てずに一緒に宣教旅行に行ったことは、後で大きな意味がありました。また、パウロとシラスの宣教旅行も大きな実を結びました(16章~)。伝道旅行の当初の目的は、途中で神様によって大きく方向転換します(16910)。パウロは伝道旅行中で幻を見、行ったことのないマケドニアに向かっていくのです。1回目の伝道旅行で訪れた地域には、おそらくバルナバとマルコが行ったと考えられます。そう考えると、この2回目の伝道旅行は二つ計画されていなければなりませんでした。喧嘩別れのような印象を受けますが、実はこれが主の御心だったのです。神様のご計画は何と深いのだろう、と教えられる一つの箇所であります。

 

 今日の説教のタイトルは「失敗も用いる神様」で、マルコは失敗をしたけれどパウロとバルナバによって育てられ、立派に成長していく、神様は失敗をも用いて下さるという結論にしようと思ったのですが、違うことを言おうと思います。今日の箇所で私たちが学べることは何でしょうか。第一は、パウロとバルナバでさえ主の御心をはっきり知ることができていなかったということです。同じ聖書を基盤として考えていても、環境や性格に影響されて、私たちは別の答を出してしまいます。これは、罪によって神様から遠く離れてしまった人間の限界ではないでしょうか。ですから、私たちは神様を信じた後も、神の御心は何だろうかと迷いながら進んで行きます。私たちの人生には、答を出しにくい問題もあるからです。祈る、また御言葉を更に読み込むことによって主の御心を知ることは、大事かもしれませんが、パウロとバルナバは、主の御心は何かを議論により結論を出し、それが主に用いられました。今日の箇所で、私は主の御心は何かを、兄弟姉妹と議論して考える大切さを教えられました。主の御心は簡単にはわかりません。考え、迷い、話し合いながら進んでいくしかありません。それは産みの苦しみでもありますが、このように兄弟姉妹と歩むことは喜びではないでしょうか。御心のままに教会、個人が進んでいくことができるよう、最後にお祈りします。

 

 全知全能の父なる神様、御言葉をありがとうございます。私たちの周りには、答の出しにくい問いがありますが、神様がいつも御言葉を通して、また兄弟姉妹を通して、その御心を私たちに示して下さい。そして主の道を教会が、また一人一人が真っ直ぐに進んで行くことができますように。今週一週間、あなたが私たち一人一人と共にいて下さることを感謝します。(2019526日礼拝 武田遣嗣牧師)