御心にかなう歩み 使徒の働き16章1~10節 

【新改訳2017】
使
16:1 それからパウロはデルベに、そしてリステラに行った。すると、そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ人女性の子で、父親はギリシア人であった。
16:2 彼は、リステラとイコニオンの兄弟たちの間で評判の良い人であった。
16:3 パウロは、このテモテを連れて行きたかった。それで、その地方にいるユダヤ人たちのために、彼に割礼を受けさせた。彼の父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。
16:4 彼らは町々を巡り、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を、守るべきものとして人々に伝えた。
16:5 こうして諸教会は信仰を強められ、人数も日ごとに増えていった。
16:6 それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。
16:7 こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。
16:8 それでミシアを通って、トロアスに下った。
16:9 その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
16:10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。

 

 16章から始まる第二次伝道旅行の目的は、第一次伝道旅行で訪れた町を再び訪れ、各地の教会に信仰による救いを伝えることでした。しかしパウロは、リステラで思わぬ収穫を得ることになります。それは、テモテとの出会いでした。テモテは町で評判がよく、パウロは彼を伝道旅行に連れて行くことにしました。当時、テモテのようなユダヤ人と異邦人のハーフは珍しい存在でしたが、二つのアイデンティティを持っていることは、ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシャ人にはギリシャ人のように福音を伝えることができるということです。テモテは、これからの宣教にどうしても必要な器だったのです。

 

 さて、教会の混乱の原因は割礼という行いにありました。パウロはそれに対し、割礼によらない、信仰による救いを主張しました。しかし意外なことに、パウロはテモテに割礼を受けさせたと記されています(3)。ここで心に留めておきたいことは、パウロは救いのためではなく、宣教のためにテモテに割礼を受けさせたということです。当時、(ユダヤ人である)=(割礼を受けている)ということでした。割礼を受けていないユダヤ人は、神様を信じていない背教者だけで、ユダヤ人は彼らを相手にしません。ですからテモテは、宣教のために割礼を受けることになったのです。この矛盾に対し、非難する人がいたかもしれません。しかし、パウロは世界宣教という大きな目標に向かって、常に力強く歩んでいきました。大きな視点で見ると、パウロの人生は矛盾ではなく、いつも一貫性があったと言えるでしょう。同様に、神様から大きな目的を与えられ、私たちがそこに向かう時、その人生には一貫性があることを覚えておきたいと思います。

 

 次にパウロは、アジア(トルコの一部分)に行くこと、またビティニアに進もうとした時にもそれを聖霊によって禁じられました(67)。皆さんから見て地図の右に行くなら、宣教旅行から引き返すことになります。ですから彼らは左に行くしかなく、遂に港町のトロアスに到着してしまいました。パウロの気持ちになって考えてみたらどうでしょう。神様を伝える熱意を持って遠いところまで来たのに、たどり着いたのは小さな港町でした。しかし、ここでパウロに神様の御心が示されていきます(910)。パウロは、ぎりぎりまで神様の御心がわからない中で、神様に従い続けました。私たちの人生にも、ぎりぎりまで神様の御心が示されない時がありますが、そんな時、自暴自棄になって神様を忘れて歩む誘惑がないでしょうか。パウロは自分の人生をテスト(試練)だととらえていました(Ⅰコリ1013)。私たちは神様の臨在が感じられない時、最大の試練に立たされますが、これは一時的な試練である、必ず脱出できると言われています。私たちは失望せずに、神の御心を求めましょう。幸い、私たちには神様の御声である聖書が与えられています。これを開くと、いつでも神様の御心を探ることができます。そして祈りを通して、神様に叫ぶことができます。

 

 最後にある牧師の言葉を引用します。

 

問題を通して信仰がためされる。所有物の扱い方を通して希望がためされる。人々の関りを通して愛がためされる。

 

信仰、希望、愛、これらは永遠に残ると聖書に書かれています。私たちは永遠に残るものを自分の内側に育むために、試練を受けているのではないでしょうか。試練の内にいる兄弟姉妹に、本当に神様のみこころがなりますように。

 

 天の父なる神様、あなたのみ思いは空よりも高く、私たちには見当もつかない時があります。しかし主よ、みことばを通して、祈りを通して、兄弟姉妹を通して、あらゆることを通して、私たちがそれぞれの試練(テスト)を乗り越えることができるように導いて下さい。(201962日礼拝 武田遣嗣牧師)