世に打ち勝つ信仰 ヨハネの手紙第一5章1~5節

新改訳改訂第3版 サブ聖書ウインドウ No.1
Ⅰヨハ
 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。
 5:2 私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。
 5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
 5:4 なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
 5:5 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。

 

 1節では、イエスがメシアであるという信仰は神から生まれた者である(新共同訳)、と証言されています。これは、私たちが神の御力によって生まれたということが強調されているのと同時に、信じる者が神の御力によってこれからも生まれ続けていく、ということも意味しています。私たちは今、信仰をしたのではなく、信仰をし続けているのです。神の御力によって生まれた者は聖霊によって満たされ、いつも勇気づけられ、この世の艱難にあっても守られ続けています。そして神の愛によって私たちは互いに愛し合うことができます。神の愛は神の御力の源泉であって、神から生まれた者はここから離れることはできません(ローマ83839)。私たちにどんな事態が起ころうとも、神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。

 

 次に神の命令を守ること(3)は、決して難行苦行することではなく、ごく自然にできることなのです。もし私たちが苦難や重荷と感じる時には、主イエス・キリストがそれを担って下さいます。砂浜に四つの足跡があった、しかし途中からその足跡は二つになってしまった、それは主イエス・キリストが私たちを背負って歩いて下さったからだ、ただ主イエス・キリストの御足の跡が二つあった、という話があります。私たちが重荷を一人で担ぐのではなく、主はそれをいつも担って下さるのです(マタイ1130)。

 

 神から生まれた者は、世に勝ち続けます(4)。今日は、人とうまく関わり合えず、閉じこもってしまう方がおられます。私どもの教会にも、今まで40年間閉じこもっていた方が来られています。ある日その方から電話があり、「教会に行ってよろしいのでしょうか」と聞かれました。そして、以前ある教会に出席していたが、誰も自分の名前を憶えてくれなかった、本当に寂しい思いをしましたと話しました。その後、一日に三度、四度と電話がありましたが、私は主のみことば通り対応しました。今その方は礼拝や聖書の学びに出席するようになり、彼の心の扉は、主に向かって一つ一つ開いていっています。教会と称するものは健全な考え方をする者のためにだけあるのではない、そのように悲しい、引きこもりの中にある方を一人でも多く主の交わりの中に入れる、これは私たちの希望であり教会のあり方ではないかと、私は自分の経験から思います。過去のことに囚われがちな私たちですが、到来すること(黙示1115)に確信をもって、世に打ち勝つ信仰を持ち続けていきたいです。

 

 さて、改革派教会では「信徒の手引き」という本を活用しておりますが、その中で世に勝つ信仰者とは何かについて簡単に六つに分けて記しています。第一に、主イエス・キリストを救い主として受け入れ、主イエス・キリストの僕として歩む人、第二に、キリストのからだである教会のために働くことができる人、第三に、神を愛し隣人を愛することのできる愛の人、第四に、終わりの時を忍耐を持って待つことのできる希望の人、第五に、礼拝を常に喜びをもって守る喜びの人、第六に、この世の苦難の中でいつも主にあって祈りをもってあらゆる苦難に耐えることのできる祈りの人、そしてそれにおいて勝利する人です。表現は簡単ですが、一つ一つの内容を見ると、なかなか難しいのではないでしょうか。信仰者とは正しい信仰告白の上に立ち、神とイエス・キリストを固く信じ、僕として神と教会のために奉仕することができる者であります。私たちの心には弱さがあり、誘惑にいつも直面します。でも私たちは主イエス・キリストの愛、十字架によって、信仰者としての歩みが守られているのです(ヨハネ1633)。私たちが用いる「主の憐れみ」という言葉は、ラテン語で「勇気を与える」という言葉の派生語であります。私たちにいつも勇気を与えて下さる神様に応える、これが主の憐れみを受けることなのです。

 

(エペ5:1 2)ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

 

また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

 

今日もこのみことばを心に留め、新しい一週をしっかりと歩んでいきたいと思います。

 

 主イエス・キリストの父なる神様、あなたとイエス・キリストの愛によって、このように本日も生かされていることを心から感謝申し上げます。今日はあなたのご計画に沿いまして、この貧しき土の器がこちらの教会に、また武田先生は私たちの教会へ派遣され、それぞれみことばを通して、働かれる聖霊の導きにおいて、あなたのみ旨を語らせていただきました。どうぞ、あなたのみことばにおいて、いつも私たちが世の苦しみや悲しみ、誘惑に打ち勝つことのできる固い信仰をこれからも与え続けて下さい。今日こちらで礼拝を守っておられる兄弟姉妹お一人お一人に、あなたの祝福と平安を豊かにお与え下さい。(2019630日礼拝 日本キリスト改革派ひたちなか教会 小林義信牧師)

☆ 本日は、日本キリスト改革派ひたちなか教会との講壇交換でした。