澄代の留守中

 

 滅多にないことだが、澄代が一人で実家や子どもたちの所に行く時がある。その間、小生は独りで食事をする。食事の準備は殆どすべて澄代がつくって出かけるので、小生は暖める程度のことをすればよい。ただ、この短期間であっても、実際に何を食べるかは小生の自由である。普段の食事は100%澄代が決定して小生に提供してくれる。これは誠に有難いことであり、感謝以外何ものでもない。しかし、他方、何を食べるかという選択の自由がないのが人間として悲しい面がある。やはり、如何にボケ老人になり、澄代に世話になっているとは雖も、食べる自由は人間として基本的に重要であると思う。その意味でわずか45回の食事に何をどれだけ自分の好むように選ぶかということは大きな喜びになる。確かに自分で決めることは面倒ではあるが、その面倒さこそが人間の最も大切なことなのだろう。

 

 澄代が留守の間にこの人間としての食べる自由を楽しもう。一方、イエス様が何を食べるか何を着るかに心を奪われたはならないと言われたことも忘れてはならないのだが。 

 

2019531