主にわくわく

 

 710日に北海道の苫小牧にある糸井教会に、約2年間の予定で留守番に赴く。使命は若い牧師を招聘することである。糸井教会には車がないため、那珂湊から車をフェリーで運ばなければならないと考えていた。那珂湊の隣町、大洗から苫小牧にフェリーが運航されているので好都合と考えていた。ところがフェリーの費用が想像以上に高く、車一台と運転手プラス一人で片道4万円以上であることが分かった。小生は種々の病気のため約3カ月に一度は那珂湊に戻らなければならないので、一度往復すれば約10万円もかかる。

 

 どうすればよいかと途方に暮れていた時、夜 寝床で一つの思いが起こされた。それは、糸井教会、緑が丘教会、旭川ローア教会に「車を提供して下さる方を捜して下さい」とお願いすることだった。小生は13年前、中咽頭癌になるまでは床に就けばすぐに眠り、目が醒めれば朝という生活だった。ところがこの病気の後遺症の一つとして夜 数回排尿のため目ざめ、多い時は67回に及ぶ。夜何度も目覚めるのはマイナスばかりではなく、祈ったり説教のことを考えたり、新たな発想が与えられたりする。今回も全く考えもしなかった、道内で主が車を備えて下さるようにという願いが起こされた。

 

 翌朝9時頃、前記の三教会に、電話やFAXでお願いした。710日まででなくても、8月中旬までに与えられれば御の字と考えていた。ところがその翌日の主の日にこのことを聞いた方から「提供できる車があり是非使って欲しい」との連絡を頂き、驚きつつも主を賛美した。

 

 何ということか。主は小生が想像だにできない程の早さで応答して下さった。小生たちは大喜びで申し出を受け、手続きも進んでいる。とにかく、主がなさることは小生たちの想像外である。どんなことをして下さるかワクワクするばかりである。全能であり、恵みの主にはワクワクして待つ楽しみがある。これから糸井教会に赴くが、主がどんなことをして下さるか期待していればいいのだと改めて思わされている。

 

2019629