第94回童謡・唱歌・讃美歌を歌う会

「われは海の子」、「すいかの名産地」、「富士の山」、「椰子の実」、「鹿のように(福音讃美歌192番)」、「ふるさと」を歌いました。参加者は4名でした。

 

 これはゴッホの「じゃがいもを食べる人々」という絵です。薄暗いランプの下で、おかみさんが亭主を睨んでいたり、おじいさんがおばあさんに早く食べるようにせかしていたり、黙々とじゃがいもを食べている子どもがいたり、ここには貧しい農民の生きる厳しさが描かれています。この絵はゴッホの人生を知ると、より深く味わうことができます。

 

 ゴッホは牧師の子として生まれ、絵が大好きだったので16歳の時、画商の見習いとして働き始めました。しかし打たれ弱い性格だったため、23歳の時恋人にふられてから無気力になり、解雇されてしまいました。しかしその後、一大決心をして神学校へ通い始め、臨時の牧師になりました。彼が働いたところは炭鉱町で、そこには低賃金で危険な仕事をする人々がたくさんいました。ゴッホは彼らに自分の貧しい給料から施しをしたり、苦しみを分かち合ったりしたそうです。27歳の時、画家としてスタートしましたが、すぐに絵が上達しました。ミレーの絵や浮世絵を何枚も模写し、そこから良いものを吸収したからです。

 

 彼はこの「じゃがいもを食べる人々」を描いた後、ある夢を持ちました。それは、芸術家村という画家が集まる村をつくることでした。多くの画家に話を持ちかけましたが、集まったのはゴーギャンだけでした。しかし彼らはすぐに仲違いし、ゴッホの絵は浮世絵などの寄せ集めにすぎないと批判されて以来、ゴッホは鬱病になり、精神病院で絵を描き続けたものの自殺未遂をし、それが原因で亡くなってしまいました。このように、彼は悲しい人生を送りましたが、最後まで貧しい人々の代弁者でした。この絵は、炭鉱町の貧しい人々をいちばん近いところで見ていたゴッホだからこそ、描けたのではないでしょうか。ゴッホ自身が貧しい生活をし、挫折を味わい、悲惨な思いをしたから描くことができた、だからこの絵にはゴッホの人生が詰まっていると言っても過言ではありません。

 

 経済的に、また心の貧しい人を救うことができるのは、貧しい者になった人ではないかと思います。上の立場から励ましの言葉を与え、経済的な援助をしても、真の意味で貧しさを持っている人々を救うことはできないのではないでしょうか。イエス様は上から高飛車な態度で、お前たちを救ってやると仰ったのではありません。神様なのに貧しい人になられました。今、心の貧しさを覚えておられる方がいらっしゃるかもしれません。神様はあなたを救うために、ゴッホのように自ら貧しい者になられたお方です。

 

 天の父なる神様、イエス様は悲しさ、貧しさ、また恥を私たちのために体験し、そして十字架にかかり、私たちの罪のために死んで下さいました。貧しい者になって下さったお方が、私たちの神様であることをありがとうございます。(武田遣嗣牧師)