苫小牧②

 

⑤北海道地区 教職者会

 

 

 

723()24()北海道地区教職者会が真駒内青少年センターで行われ、小生夫婦も出席した。50人の出席者だったと思う。小生が去年(2018)地区総会に出席した後、4月末に緑が丘教会を去ったので、1年数か月振りに地区の教職者に会った。新しい顔ぶれが多く半数くらいは知らないように思った。

 

 北海道地区は1993年、北栄教会を去り、2016年再び北海道の旭川緑が丘教会で奉仕した。先述のように約2年後の20184月に北海道を離れた。そして一年数ヶ月後の今月、苫小牧の糸井教会に着任したのである。小生の様に北海道を二度も離れたにも拘わらず、こうして3度目の北海道に出戻った者を喜んで受け入れて下さったことに感謝するのみである。

 

 1975年に北海道に来た時は31才で新婚であったが、3度目の今回は75才で、類天疱瘡と下垂体前頭葉機能障害という難病、狭心症の恐れ等ガタガタの体調と呆けとで全く異なる細川である。ステロイドの副作用でムーンフェイスになり、以前の小生とは別人のようで識別できない人が多い。それが哀しくて人に会いたくないのである。それでも今回の教職者会には、全国運営委員も参加していたので懐かしい顔もあり嬉しかった。特に浜田山教会から送り出した徳永さん(門戸教会)、加藤さん(朝日教会)の20数年前と変わらない爽やかな顔を見ると言葉では言い表せないほど嬉しくなった。また連合発足当時から事務の働きをして来た岡田兄や、藤本兄に会えたのも思いがけないプレゼントのようであった。

 

 これから2021年春まで糸井で、若い牧師招聘のために奉仕をする。その間、若い教職者たちに「あの呆け老人」と蔑まれるのだろうが、それに耐えて何とか召しを全うできるよう祈って欲しい。

 

 

 

 

 

⑥ひたちなかと苫小牧

 

 

 

 ひたちなか市と苫小牧市との類似点がいくつかあるように思う。先ず両市とも大企業の城下町である。ひたちなかは「日立」によって発展した街である。苫小牧は「王子製紙」にである。そのためひたちなか市の勝田駅前は「日立」が占領し、苫小牧駅前は「王子製紙」が占領している。また、どちらも「日製病院」と「王子病院」が市民の健康を支える病院として信頼されている。

 

 また、両市とも太平洋に面し、港町である。ひたちなか市は「那珂湊」という元々は漁港であるが、現在は「常磐那珂港」という大型貨物取扱港の機能も持っている。一方、苫小牧港は大型フェリーのターミナル港として本州と北海道を結ぶ重要な役割を果たしている。那珂湊の隣町大洗港と苫小牧を結ぶ大型フェリーはよく知られているところである。人口規模も両市とも15万程度のようである。

 

 一方、両市には違いもある。小生た苫小牧に来て何より違うと思うのは気候である。同じ太平洋に面しているが、那珂湊は晴天が多く、7月下旬ならば普通は30度以上になる。ところが苫小牧は晴れる日は少なく、霧が立ち込め、青空を見ることは殆どない。726日現在でも、最高気温が23度位で、朝夕ストーブを焚くことは稀ではない。

 

 苫小牧からはすぐ近くに白老温泉や支笏湖温泉等があり、支笏湖や洞爺湖等湖が近くにある。ひたちなかの那珂湊からは温泉地や湖は近くにない。

 

 これから苫小牧で、この地を愛し、楽しむことを見出していきたいと願っている。この地の人々を愛するためにも、イエス様がガリラヤ地方を歩き愛されたように、この地の風土を知り、愛するようになりたい。

 

 

 

 

 

⑦聖徒の召天に思う

 

 

 

 数日前、斎藤良子先生(東京基督教短期大学名誉教授)と吉持章先生(東京キリスト教学園名誉理事長)の召天を知った。斎藤良子先生は、小生が信仰に導かれた1963年頃には日本クリスチャンカレッジ(JCC) で教鞭をとるだけでなく、種々の超教派の研修会等で若い信仰者の教育に携わっておられた。そのため、小生も斎藤先生の講義を何度も受けたことを忘れられない。個人的に斎藤先生と親しく言葉を交わしたことはないように思うが、若い時に教えを頂いた方々として忘れられないのである。

 

 吉持章先生とは、先生がTCU はじめ種々の団体で重責を担っておられた頃、ある会議で同席した時、若かった小生は生意気にも先輩たちを恐れず勝手な意見を述べたりした。義持先生は責任ある立場で、そんな小生をたしなめるような態度をされた。それで小生は反発心を抱き、尊敬も出来なかった。

 

 先日、敬愛する先輩牧師から、吉持先生の召天を知らされた。その時、その先輩は吉持先生のことを「晩年になり益々謙遜になられた」と評しておられるのには驚いた。小生はずっと傲慢な働き人だと思っていたが、若い時はいざ知らず、晩年には「謙遜な人」と言われるようになっていたのに驚いたのである。同時に、人を先入観を持って決めつけてはいけないことを教えられた。吉持先生のように「謙遜な人」と評されるような晩年、生涯を送りたいものである。モーセが「謙遜な人」と呼ばれたように、「謙遜な人」と主から呼ばれるのは何とすばらしい賞賛の ことばではないだろうか。「優秀な人」「有能な人」と言われるのではなく「謙遜な人」と呼ばれるようになりたいものである。

 

 斉藤先生と吉持先生の召天に思わされたことである。

 

 

 

 

 

 

 

⑧道央・胆振・日高ブロック教職者の昼食会

 

 

 

 教会連合北海道地区は、北は稚内から、南は苫小牧、静内、襟裳。東は根室、釧路、西は函館、室蘭、ニセコ。と広大な地域に及ぶ。函館から道央の札幌まででも約250300㎞あるだろう。札幌から旭川までが約150㎞。旭川から稚内が約200㎞、また旭川から網走まで約300㎞。札幌から苫小牧が約100㎞。苫小牧から静内が100㎞。静内から襟裳までが約100㎞ある。

 

 このように広大な地域が一つの地区であり、それを六つのブロックに分け、ブロックごとに密度の濃い交わりを持つことが意図されている。

 

 先日、道央・胆振・日高ブロックの教職の交わりがあった。恵庭教会に着任した姜明善牧師と糸井に着任した小生たちの歓迎会をして下さったのだ。姜さんは南関東地区の大磯キリスト教会から恵庭教会に導かれたとのことで、釜山生まれの若さと霊に満ちた働き人である。初めての北海道で種々のカルチャーショックがあるだろうが、主の憐れみによって、この地で長く奉仕して欲しいものだ。小生はとにかく糸井教会に若い働き人を招聘するために召されたので、その使命を果たせるように祈ってもらった。北広島から襟裳まで200㎞以上ある地域に、教会連合加盟教会は5教会で、その他、日本キリスト教会、日本キリスト教団、日本福音同盟教団等、全てのプロテスタント教会は20数教会ではないだろうか。

 

 海外では各国、各都市に一教会くらいなので、教団、教派を超え一つになって礼拝し、主の民たちを守るのを、海外の日本語教会で奉仕して見て来た。それと同じように、この北海道では、教団、教派を超えて、教会がみな協力、一致することが大切なのである。連合の道央・胆振・日高ブロックの交わりだけでなく、この地域の諸教会との交わりの土台となれればと切に願う。

 

 

 

 

 

⑨パークゴルフ場

 

 

 

 糸井教会から25分ほど歩いたところに「糸井の森パークボルフ場」の立て看板があった。パークゴルフは北海道が発祥の地と言われている。そのためか、道内では古くから盛んに行われている。小生が以前札幌の北栄教会で奉仕していた時、北見キリスト教会に招かれたことがある。朝目醒めると朝日が燦々と降り注ぎ教会前の木立は木漏れ日で輝いている。そこはパークゴルフ場になっていたので、夫婦で早速プレ-することにした。それまで12度経験はあったので受付で道具を借り、グリーンの美しさと木漏れ日の美しさの中、二人で堪能した。その後、道内にいる間数回プレーしたと思うが、本州に移ってからは1度あったように記憶している。しかしその時は芝生ではなく、土の上だったように思う。

 

 今回、近くにパークゴルフ場があるのが分かり、夫婦で下見に行った。すると芝生の手入れは行き届き、普通のゴルフ場のフェアウェーやグリーンのようであった。そのパークゴルフ場は36ホールあり、山の裏側にもう18ホールあるとのことであった。地域の多くの人たちが楽しんでいるようで、1400余名の会員がいるとのこと

 

である。驚いたことに、ビニールハウスの中に芝生があり、冬でもそこでプレーできると言う。

 

 小生の体調からして、普通のゴルフは無理であるが、パークゴルフならば、澄代が同伴である限り可能かもしれないと思った。

 

 これから糸井で奉仕する約2年の間に、パークゴルフを試みてみたいと思っている、ただ、類天疱瘡は紫外線を避けなければならないので、晴天ではなく、曇りや霧の時に限られることである。一方芝の緑の美しさに魅了されてはいる。

 

 

 

 

 

 

 

⑩導きの不思議

 

 

 

 糸井教会で約2か月前に結婚した夫婦がいる。それぞれ再婚で70才前後である。男性は岐阜県出身で苫小牧近くの白老に移住して来られた。女性は道内の小樽出身で札幌で出会ったと言う。どのようにして70才近くになって結婚するよう導かれたのか、機会があれば詳しく聞きたいと思う。

 

 一方、同労者の夫人が昨日召されたという知らせが今朝あった。先述の夫婦のように70才前後で結婚に導かれることもあれば、同じ年頃で長年の夫婦生活に終止符を打たれる場合があると言うのが何とも不思議である。

 

 これまで多くの友人夫婦と交わりを与えられて来た。そして友人夫婦によって小生たちはどれだけ教えられ励まされ、慰められたか、一言で言い表せない。小生たちが今日あるのは主の恵みによるのは勿論であるが、友人夫婦によることも掛け値なく言えることである。

 

 しかも、これまで友人夫婦の中で、夫婦のどちらかが召されたということはなかったように思う。主の憐れみによって友人夫婦はこれまで夫婦そろっていたのである。

 

 だから、この夫婦は小生にとって、夫人を天に送った最初の友人である。この友人は年齢的には小生より数年若い。教会連合が設立される以前の単立連盟当時から、共に奉仕した。単立連盟から教会連合設立においてリーダーシップと発想力をもって、今日の教会連合の基礎を築いた一人である。小生は友人たちの中で特別に彼を尊敬して来た。この友人と単立連盟時代から教会連合設立期を共に奉仕出来た事を感謝している。そんな彼の夫人が召されたことを聞き、彼に何と声をかければいいのだろう。たくさんの友人の中で特別の友が最初に夫人を天に送るとは、主は何と言うことをなさることか。