慰めに満ちた歩み 使徒の働き20章1~6節、13~16節

 

【新改訳2017

 

使

 

[ 20 ]

 

20:1 騒ぎが収まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げ、マケドニアに向けて出発した。

 

20:2 そして、その地方を通り、多くのことばをもって弟子たちを励まし、ギリシアに来て、

 

20:3 そこで三か月を過ごした。そして、シリアに向けて船出しようとしていたときに、パウロに対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニアを通って帰ることにした。

 

20:4 彼に同行していたのは、ピロの子であるベレア人ソパテロ、テサロニケ人のアリスタルコとセクンド、デルベ人のガイオ、テモテ、アジア人のティキコとトロフィモであった。

 

20:5 この人たちは先に行って、トロアスで私たちを待っていた。

 

20:6 私たちは、種なしパンの祭りの後にピリピから船出した。五日のうちに、トロアスにいる彼らのところに行き、そこで七日間滞在した。

 

 

 

【新改訳2017

 

使

 

20:13 私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて船出した。そこからパウロを船に乗せることになっていた。パウロ自身は陸路をとるつもりでいて、そのように決めていたのである。

 

20:14 こうしてパウロはアソスで私たちと落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミティレネに行った。

 

20:15 翌日そこから船出して、キオスの沖に達し、その次の日にサモスに立ち寄り、さらにその翌日にはミレトスに着いた。

 

20:16 パウロは、アジアで時間を取られないようにと、エペソには寄らずに航海を続けることに決めていた。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたいと、急いでいたのである

 

 

 今日は、私たちが人生の使命を果たすために必要な慰めについて、共にみことばに聞いていこうと思います。

 

 パウロの宣教旅行の目的地はエルサレム、ローマでしたが、その前にマケドニアを通ったと書かれています(12)。そこで何が起きたのか書かれていませんが、聖書の他の箇所からその一端を知ることができます(Ⅱコリ757)。ここには、非常に強いイメージがあるパウロの、意外な心情が語られています。しかしパウロは、同労者テトスの存在によって、平安を取り戻すことができました。そしてテトスから、問題の多いコリント教会が悔い改めたという良い知らせを受け取りました。パウロはこの知らせに、どれほど慰められたでしょう。パウロは、コリントの教会が神様によって少しずつ変えられ、進んでいる歩みに非常に励まされました。私たちの教会も週ごとに変わり、進んでいくと思わされています。そのことに、私たちはどれだけ感動し、感謝しているでしょうか。二週間続いた葬儀は悲しいものでしたが、天国への希望に満ち溢れていました。教会に多くの人が初めて足を踏み入れましたし、準備から後片付けまで、教会のチームワークのすばらしさを垣間見ることができました。パウロのように、私たちは進んでいる教会の姿を見て感謝し、励まされながら、信仰生活を歩んでいかなければなりません。私たちは教会の一部である、という自覚を持ちたいと思います。2012には「ギリシアに来て」と書かれていますが、これはパウロがコリントへ来たことを表しています。それまでパウロは、コリントの教会を愛していたけれど逆恨みされて苦しい、悲しい思いをしてきました。しかし、彼はローマに行く前にコリント教会に立ち寄って、その悔い改めた姿を自分の目で見ることができたのです。どれほどの喜びだったでしょうか。私たちにも、愛そうとかゆるそうとか努力している人がいるかもしれません。その努力が実った時のことを思うと、それはどれほどの喜びでしょう。愛とゆるしは、ギリシャに来て悔い改めたコリントの教会を見たパウロの喜びにつながっている、私たちはこれを改めて覚えたいと思います。また、パウロはコリント滞在中、「ローマ人への手紙」を書きました。つまり彼は確かにマケドニアに寄り道をしたのですが、いつも顔は目的地ローマに向いていたのです。神様はパウロの心が折れないように、教会と兄弟姉妹を通して励ましと慰めを与え、道を進ませていったということが、ここからわかるのではないでしょうか。

 

 さて、パウロは五旬節にはエルサレムに行きたいと願っていました(3)。そしてコリントからエルサレム行きの船が出港する直前に、この船に乗っていたユダヤ人たちの陰謀に気づいて(34)、乗船しませんでした。そしてトロアスという別な港町からエルサレムに向かおうとしました。これはパウロにとって遠回りでしたが、トロアスでのユテコの話があり、エペソ教会との感動的な別れがありました(20章後半)。これらの出来事も、パウロがエルサレム、ローマに向かっていく力になりました。

 

 45節を見ると、テモテ以外、あまり聞きなれた名前がないかもしれません。彼らは、エルサレム教会に献金を届けるためにパウロに同行した人々だ、という説が有力です。世界に教会ができて、まだ数十年しかたっていません。しかし、この時すでに教会と教会が支え合い、励まし合う関係がありました。那珂湊教会が、同じ連合の教会や教派の違う教会と交わりを持っていることに、本当に感謝をしたいと思います。先週の「世の光」の大会も、その一つではないでしょうか。私たちには、他教会からも人生の旅を進む力を与えられています。ですから、超教派の交わりにも積極的に参加したいと思います。

 

 トロアスからアソスへ行く時、パウロだけ船に乗らずに歩いて行きました(1316)。なぜでしょうか。これには色々な説(例えば船賃を節約するためとか、陸路を進んで伝道したかったのではないかなど)があります。しかし福音書には、イエス様が弟子たちを船で先に行かせてから、自分は父なる神様に祈っていたという箇所があります。ですからパウロも、トロアスーアソス間の30キロの陸路を一人で進みながら、一人で祈っていたのではないかと思いました。パウロは兄弟たちの交わりの中で慰めを受けると同時に、一人で神様の御前に立って祈る時間に慰めを得ていたのではないでしょうか。パウロがいのちをかけた使命に進んでいく時に、兄弟からの慰め、教会からの慰め、そして何より神様と一対一での慰めがあったということが、今日の箇所でわかります。私たちも兄弟を慰め、慰められながら人生の旅を進んでいく、そのような歩みをしていきたいと思います。

 

 天の父なる神様、みことばをありがとうございます。語られたみことばが一人一人の心に深く根ざしていきますように。私たちには一人一人、神様からの使命がありますが、私たちはその使命を神様に問いながら自分の人生を進んでいきます。私たちは神様のみこころ全てを知ることはできませんが、私たちには祈り、みことばを読む時があることをありがとうございます。神様と出会いながら、また兄弟姉妹、神様から慰められながら人生を進んでいくことができますように助けて下さい。(2019106日礼拝 武田遣嗣牧師)