苫小牧から(2019.11.08)

 

⑪再婚

 10数年前、小生が中咽頭癌になった頃、夫婦して相手が先に召された後、どのように生活するかを話し合った。当時二人とも自分が先に召された場合は、是非再婚して欲しいと願った。小生は「もちろん再婚するよ」と言い、澄代は「しない」という意見だった。

 

 あれから時が過ぎ、小生は70後半になり、澄代も70になろうとしている。澄代はだが 10数年前と変わらず若々しく思うので再婚は現実的であろうが、小生にとっては非現実的である。

 

 夫人を天に送った友人は70前後で非常に元気である。これから一人で生活し、牧会するのか。それとも再婚をするのか。

 

 これまで友人の中で伴侶を天に送ったのはあまりいないが、ただ一人いる。彼らは20才代後半に同じ教会で導かれ家庭を築いた。一男二女が与えられ、一家して主の教会に全力で仕えておられた。ところが兄弟が50歳代に入った頃から、それまでのムリがこたえたのか重い病気をいくつも患い、それを夫人が支えていた。それでも教会と職場で忠実に奉仕し続けた。兄弟は入退院を繰り返していたが60才代半ばで召された。残された夫人は再婚をせず単身で仕事をしながら教会に仕えて今日に至っている。

 

 小生が先に召された場合澄代はどうするだろうか。小生が縛ることは出来ない。小生が願うのは、小生と共に主に仕えた苦労からも解放されて、澄代の賜物が生かされる道を選びとって欲しい。

 

 逆に、もし澄代が先に召された場合、小生はどうすべきか考えていなければいけないのだが、まとまらないのである。

 

 

⑫祈り会

  糸井教会の祈り会は水曜日午前10時から行われる。集まった兄姉が、みことばの光でその日読む所を輪読し、数分間黙想した後、教えられたことを分かち合う。

 

 それに対して、批評をすることなく受け止めるだけである。牧師も出席者の一人として兄姉の教えられたことを聞き、自分も教えられたことを短く語るだけである。

 

 出席者が多い時は10人近くなる。礼拝出席者が同じように10人前後なので、礼拝出席者と祈祷会出席者がほぼ同数である。このような教会は稀ではないかと思う。多くの場合、礼拝出席者の12割が祈祷会出席者ではないだろうか。礼拝出席者10人前後ということがあるにせよ、礼拝出席者がほぼ全員祈祷会に出席すると言うのは驚きである。

 

 糸井教会は約40年前、OMFの宣教師が開拓したため、OMFの祈りの伝統が継承されているのだろうと感じている。祈りの内容も、教会内だけでなく、超教派の働き、送り出している有沢宣教師の働き、OMFの祈りのカレンダーによる課題等を祈るのである。前任の沼田師(現 青森福音キリスト教会牧師)の良き指導もあったのに違いない。

 

 このOMFの良き祈りのスピリットを絶やすことなく、祈りの教会として継続したいと祈るのである。

 

 

信友たちの交わり

 

 89日、北広島に住む米谷和雄・明美夫妻宅で、シカゴから一時帰国した安納義人・恵子夫妻と娘さん。その姪御さんの飯田夫妻が岩見沢から。札幌から小林基人さん。それに小生たちの交わりがあった。数年ぶりの再会もあれば何十年振りの再会もあった。

 

 昨年、シカゴの安納さんが脳の大病を患ったが、主の憐れみによって奇跡的に回復し日本までの長旅にも耐えられるようになったので、小生たち友人は驚きつつ、主を賛美していた。

 

 今回安納夫妻と娘さんを囲んで、信友たちが久しぶりの神の家族の交わりを持つことになったのである。姪御さんの御主人、飯田さんは岩見沢で日本イエス教会で牧会をしている40代後半の働き盛りであった。彼が尺八を演奏してくれて、老いた信友たちの交わりに花を添えてくれた。

 

 安納さん、米谷さん、小林さんはある神学校の同級生で、そのころから祈り合う仲間であった。それから約50年が経っても連絡を取り合い、常に祈り合う信仰の友なのである。今回も同級生の一人が8月になって召されたことが報告された。彼は神学校の同窓生名簿にも記載されてないにも拘らず個人的に消息を知らせ合っていたそうである。それを聞いて、信友の愛のすばらしさに教えられたものである。

 

 安納さん、米谷さん、小林さんというすばらしい信友たちの愛のおこぼれに与っているような者であるが、彼らの様に愛の実践を少しでもするようになりたいものである。

 

 安納さん夫妻は814日にシカゴに戻るそうである。主が彼らをシカゴで守り、豊かに用いられるように祈るばかりである。

 

 

再び苫小牧に

 

 911日(水)に再び苫小牧に来た。茨城空港1730発の予定が雷雨のために大幅に遅れ、1840頃出発した。千歳空港には20時過ぎに到着。糸井教会の鴇田さん夫妻が出迎えてくれた。糸井教会についたのは21時過ぎだった。茨城では暑くて仕方なかったが、千歳に着き建物の外に出ると寒い。長袖のシャツに毛糸のカーデガンを着てちょうど良かった。牧師館に入ってすぐストーブを点けたのである。

 

 最高気温が30数度あった那珂湊から、最高気温20数度の苫小牧に来て、体が驚き、適応するのに時間がかかりそうである。

 

 夜寝る時も、Tシャツ、ショートパンツから、長そでシャツ、長ズボンに衣替えである。

 

 同じ北海道でも苫小牧は南なので、暖かい方である。20184月までいた旭川までは200km位あり、気温は全然違うのである。関東地方と苫小牧との差と、苫小牧と旭川の差が同じではないだろうか。

 

 とにかく苫小牧は小生たちにとっては新しい地であり、初めての冬を迎える。どんな冬なのか興味津々であると同時に不安でもある。

 

 主がこんな老いぼれをもこの地に耐えさせて下さると信じる外はない。「主よ憐れみ給え」である。