配慮に満ちた愛 使徒の働き21章15~26節

 

【新改訳2017

 

使

 

21:15 数日後、私たちは旅支度をしてエルサレムに上って行った。

 

21:16 カイサリアの弟子たちも何人か私たちに同行して、古くからの弟子である、キプロス人ムナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである。

 

21:17 私たちがエルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。

 

21:18 翌日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた。

 

21:19 彼らにあいさつしてから、パウロは自分の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ説明した。

 

21:20 彼らはこれを聞いて神をほめたたえ、パウロに言った。「兄弟よ。ご覧のとおり、ユダヤ人の中で信仰に入っている人が何万となくいますが、みな律法に熱心な人たちです。

 

21:21 ところが、彼らがあなたについて聞かされているのは、あなたが、異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習にしたがって歩むなと言って、モーセに背くように教えている、ということなのです。

 

21:22 それで、どうしましょうか。あなたが来たことは、必ず彼らの耳に入るでしょう。

 

21:23 ですから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に、誓願を立てている者が四人います。

 

21:24 この人たちを連れて行って、一緒に身を清め、彼らが頭を剃る費用を出してあげてください。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、皆に分かるでしょう。

 

21:25 信仰に入った異邦人に関しては、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、淫らな行いを避けるべきであると決定し、すでに書き送りました。」

 

21:26 そこで、パウロはその人たちを連れて行き、翌日、彼らとともに身を清めて宮に入った。そして、いつ、清めの期間が終わって、一人ひとりのためにささげ物をすることができるかを告げた。

 

 

 今日は18節以降を三つに分けてお話します。第一は、パウロの報告です(1819)。第三次宣教旅行の移動距離は4000キロ以上と言われ、車のない時代ですから大変だったと思います。しかしパウロは、この宣教旅行を通して多くの人々を励まし、神様のもとに立ち返らせました。パウロは毎日必死でした。いつ捕えられるかわからない、それでも彼には喜びがありました。神様が自分の人生を動かしているという充実感、困難があっても最後には御国に着くという安心感に満ちていました。たとえ苦しくても、神と共に成し遂げる人生には喜びがあるということを、パウロの旅は教えてくれると思います。私たちの人生は、自分の野望をかなえるためにあるのではありません。私たちの人生は、私たちをつくられた神様のためにあるのです。パウロはエルサレムで逮捕されることを分かった上で、神様の命令によってエルサレムまで旅を続けてきました。周囲の人に止められても、神様との親しい交わりの中で、自分が歩むべき道をはっきり知っていたのです。私たちは迷いながら人生を歩みますが、彼のような確信に満ちた足取りで人生を歩むことができたらと思います。そして自分の人生を振り返って、私を通して神がこのようなみわざをして下さったのだと証しすることができたら、なんとすばらしいことでしょうか。

 

 第二は、エルサレム教会の喜びについてです(20)。エルサレム教会はパウロの宣教を陰で支え、ずっと祈ってきました。彼らは、パウロの報告を自分のことのように喜びました(Ⅰコリ122627)。パウロと彼らとは離れていましたが、一つであるという意識がありました。働きの成果に嫉妬したり、無関心であったりすることはなく、苦しみや喜びを分かち合う関係でした。

 

 第三は問題への対処についてです(2126)。エルサレムには、パウロについてあらぬ噂が立っていました。これに対し、エルサレム教会とパウロは具体的な策を講じました。ユダヤ人が大切にしている慣習の中に、「ナジル人の請願」があります。特別な願い事がある時や神様に感謝を表したい時に行うもので、パウロも1818で「ナジル人の請願」を行っています。請願を立てている間は、髪を剃ってはいけませんでした。パウロは、エルサレム教会に請願を終える人が4人いることを聞いて、彼らと共に神殿に行き、髪を剃る費用を出すことにしました。これにより、パウロもユダヤ人の慣習を大事にしていることを示し、ユダヤ人たちの誤解を解こうとしたのです。このようにパウロは、信仰の弱い人のために愛のある配慮をした人物です。私たちも兄弟姉妹に、新しく教会に来られた方に、愛のある配慮をしていきたいと思います。

 

 パウロは、宣教旅行の成果を「神がしたこと」として報告しました。パウロの旅は紆余曲折があり、27節では敵対するユダヤ人に捕えられてしまいます。パウロの試練はこれからも続いていくのですが、その中にあっても、彼は神の御心に沿って歩んでいるという確信がありました。私たちも神様のみことばを聞いて、祈りによって話す、そして神様との対話の中で御心を示され、確かな歩みをしていきたいと思います。

 

 また、パウロとエルサレム教会の共に喜び悩む関係に、私たちは学びたいと思います。教会の働きは、作物を育てることに例えられます。教会は、神様の愛のすばらしさを伝えるために共に苦心し、祈り合い、収穫を喜ぶ者たちの集まりです(Ⅰコリ36)。いい教会とは、一人一人が自分の功績を手放し、神様をほめたたえている、その中心は御心に沿っているのではないでしょうか。パウロとエルサレム教会に倣って、私たちはより良い教会を共に目指していきたいと思います。

 

 天の父なる神様、私たちを今日も教会に招いて下さってありがとうございます。私たちが互いに仕え合い、思いやり、キリストに似た教会として成長していくことができますように助けて下さい。(20191124日礼拝説教 武田遣嗣牧師)