待ち望んだ救い主 ルカの福音書2章25~35節

 

【新改訳2017

 

ルカ

 

2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。

 

2:26 そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。

 

2:27 シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。

 

2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。

 

2:29 「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。

 

2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。

 

2:31 あなたが万民の前に備えられた救いを。

 

2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」

 

2:33 父と母は、幼子について語られる様々なことに驚いた。

 

2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。

 

2:35 あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」

 

 

 シメオンは、正しくて敬虔な人だったと書かれています。この「正しい」ということばは、イエスの父ヨセフなど、限られた人だけに用いられています。彼は相当な信仰者だったわけです。イエス様を待ち望むことが、シメオンに与えられた使命でした。聖霊はシメオンをイエス様のところに導きました。このように聖霊は、神様と神様を求める人とを出会わせるのですが、そのタイミングは神様が決めることです。シメオンの場合、かなりの高齢だったと思われます。

 

 さて、ヨセフとマリアはなぜ神殿に来ていたのでしょうか。それは慣習を守る(22224)ためでした。当時、エルサレムにある神殿は、父なる神様の臨在が満ちている場所と言われていました。彼らは神様にイエス様をささげるために、神殿に来たわけです。シメオンはイエス様を腕に抱き、万感の思いで神様をほめたたえました。「去る」(29)は、ギリシャ語では奴隷が労苦から解放される時に用いられる言葉だそうです。シメオンにとって、待ち望むことは相当大変だったのでしょう。私たちも絶望すると祈りができず、みことばを読む気が失せてしまいます。しかし、ここに明らかにされているのは、待ち望んだシメオンにイエス様が出会って下さったことです。私たちは今絶望の淵にいても、いずれ主に出会うことができると待ち望んで、礼拝やみことば、祈りにいそしんでいきたいと思います。

 

 シメオンは、イエス様がもたらす救いは異邦人にまで及ぶと語りました(32)。当時の人々は、ユダヤ人しか救われないと考えていましたが、イエス様誕生八日目の時点で、異邦人である私たちも救いの計画に入れられているということがわかります。

 

またシメオンは、イエス様の今後についても聖霊から教えられ預言しました。イエス様によって立ち上がった例はたくさんありますが、羊飼いもその中に入るでしょう。イスラエルでは、羊飼いは評判の悪い仕事でした。当時のイスラエルの法律では、羊飼いは法廷で証言することができなかったそうです。これは彼らが信用されていなかったからです。また、彼らは羊の世話のために朝早く出かけ、礼拝に出たり、信仰深い人の話を聞くこともできません。つまり羊飼いはイスラエルの中で、最も神様に出会いにくい人だったと言えると思います。そこに天使が現れたのです。彼らはイエス様に出会った後、神様をほめたたえる者に変えられました。逆にパリサイ人は聖書の専門家で、尊敬される立場にありましたが、イエス様に出会った後、民衆を扇動し、イエス様を殺そうとしました。イエス様と出会うということは、取り繕い隠されていたものが露わになっていくことです。自分の心の罪が示された時、それを悔い改めるか、さらに隠して取り繕うか、この二択が私たちに迫られます。イエス様と出会うことは、自分の裸の心を見せられる、痛みを伴う経験でしょう。

 

シメオンはイエス様を、「啓示の光」と言いました(32)。「啓示」という言葉には、隠されていたものを明らかにするという意味があります。旧約聖書では預言者、新約聖書では使徒たちが神様のことを語りましたが、私たちはイエス様のことばと生涯から、最も色濃く神様のことを知ることができます(へブル113)。もしイエス様が人としてこの世に下りてきてくださらなければ、神様の愛、神様の救いについて、私たちははっきり知ることはできなかったでしょう。しかし、イエス様は下りてきてくださいました。どうかみことばと祈り、礼拝を通して、イエス様を待ち望み、そして主と出会いましょう。シメオンのように、神様は待ち望むものに必ず出会って下さるお方です。

 

天の父なる神様、御名をあがめ、賛美いたします。イエス様が私たちのところに下りてきてくださったからこそ、私たちは神様の愛を知ることができました。私たちは神様から遠く離れてしまう時がありますが、主を待ち望む時に私たちに語りかけ、私たちを救ってくださいます。どうぞ主よ、今週も私たちと共にいてください。来週のクリスマスを、心から喜ぶことができますように。(20191215日礼拝 武田遣嗣牧師)