啓示にどう応えるか 使徒の働き26章19~32節

 

【新改訳2017

 

使

 

26:19 こういうわけで、アグリッパ王よ、私は天からの幻に背かず、

 

26:20 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤ地方全体に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきました。

 

26:21 そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中で捕らえ、殺そうとしたのです。

 

26:22 このようにして、私は今日に至るまで神の助けを受けながら、堅く立って、小さい者にも大きい者にも証しをしています。そして、話してきたことは、預言者たちやモーセが後に起こるはずだと語ったことにほかなりません。

 

26:23 すなわち、キリストが苦しみを受けること、また、死者の中から最初に復活し、この民にも異邦人にも光を宣べ伝えることになると話したのです。」

 

26:24 パウロがこのように弁明していると、フェストゥスが大声で言った。「パウロよ、おまえは頭がおかしくなっている。博学がおまえを狂わせている。」

 

26:25 パウロは言った。「フェストゥス閣下、私は頭がおかしくはありません。私は、真実で理にかなったことばを話しています。

 

26:26 王様はこれらのことをよくご存じですので、その王様に対して私は率直に申し上げているのです。このことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも、王様がお気づきにならなかったことはない、と確信しています。

 

 

 今回は、使徒の働きに書かれている、パウロの最後の弁明です。最初にその弁明の結果を見てから、説教を始めたいと思います(3032)。

 

 パウロの弁明は、自分がイエス様に出会って変えられたという内容です。クリスチャンでない人が聞けば、パウロは嘘をついている、イエスは神ではないと言ってもおかしくありません。しかし、人々はパウロの弁明を受け入れました(3031)。私たちにはそれぞれイエス様との出会いがあると思いますが、それを誰かに語っても上手く伝わらなかったり、伝えることを諦めているかもしれません。では、なぜパウロのことばは聴衆に受け入れられたのでしょうか。その理由は二つあります。

 

 第一の理由は、パウロがみことばに応える歩みをしていたことです(19,20)。わたしのことを宣べ伝えなさい、これが「天からの幻」でした。19節は、パウロがイエス様から与えられたみことばに背かず、応えたことを表しています。「ダマスコニいる人々をはじめ」(20)と書かれているのは驚きです。ダマスコは、パウロがイエス様に出会った後、初めて入った町だからです。つまり、パウロはすぐにみことばに応答し、宣教を始めたのです。それからユダヤ人に捕らえられるまで、一貫して神のみことばに応答し続けました。迫害者から宣教者へと、パウロの変貌ぶりを見た者たちは、パウロはイエスに出会ったのだと結論づけるしかありませんでした。みことばを心に留めて歩む、これは非常に難しいことです。悪魔は、みことばを私たちの心から奪うことに躍起になっています。しかし私たちが礼拝のみことばや、日々のデボーションで得たみことばを心に留め、それに応える歩みをする時、イエス様との関係が親しくなり、豊かに証をすることができます。私たちはパウロにように、一度聞いたみことばを大事にしているでしょうか。そしてそれに応答しているでしょうか。

 

 私は小学生から高校生まで年に二回、キリスト教のキャンプに参加していました。友達と会える楽しみだけでなく、キャンプで聞いたみことばは今も心に残っています。18歳になるとキャンプのスタッフにまわり、グループをリードするようになりました。グループに分けるのは、子どもたちがみことばを実生活でどのように適用すればいいか、考え話し合うためなのですが、これは私には難しい経験でした。正解は言えても、ことばに真実味と説得力が欠けるのです。キャンプ中は先生ぶっても、ふだんみことばに生きていなければ、そのことばには力がないのだということを痛感しました。およそ4年にわたるキャンプのスタッフの経験は、それに気づけたよい機会でした。たった一度語られたみことばに、何十年間も真摯に応答し続けたパウロがどれほどすごいのか、私たちは彼に見倣いたいと思います。そして、パウロを180度変えたみことばに信頼して歩みたいと思います。もしそれができるなら、「あの人はイエスに出会ったのだ」と周りの人々が認めるのではないでしょうか。

 

 第二の理由は、パウロが聖書に精通していたことです(22,23)。パウロは、自分が語ってきたことは旧約聖書に矛盾していないと主張しました。彼がこれまで語ってきたことは、キリストが苦しみを受けること、死者の中から復活することです。しかしそれは旧約聖書でも語られてきたことであり、パウロが好き勝手なことを言いふらしているのではありません。聖書全体の確かな知識に基づいて語っているのです。パウロは聖書に精通しているが故に、弁明が更に豊かな説得力を持っています。同様に、私たちのイエス様との出会いの経験は、聖書を学ぶことで更に豊かに、説得力をもった形で語ることができます。

 

 聖書を学ぶ有益な方法は、教理(聖書、神、人間、キリスト、聖霊、救い、教会、終末)を学ぶことです。説教では、短い何節かの聖書テキストに集中し、狭く深く聖書のメッセージを学びます。教理では、新約聖書と旧約聖書双方を見ながら、広く聖書の最もシンプルなメッセージを学びます。教理の学びで聖書全体をよく知っているなら、私たちはパウロのように恵みを豊かに語ることができるでしょう。

 

 天の父なる神様、御名を崇め讃美いたします。自粛で外になかなか出られない状況が続いていますが、私たちにはいずれ、神様の愛やすばらしさを伝える機会が訪れます。どうぞ信じる私たちに聖霊を送って下さって、神様のすばらしさを豊かに語ることができますように助けて下さい。私たちは神様のことを宣べ伝える時、心配になることがありますが、どうぞあなたが私たちに必要なものすべてを与えて下さいますようにお願いします。私たちが与えられたみことばに応答し続け、また聖書の深い恵みのメッセージを学び続けることができますように助けて下さい。(202053日礼拝 武田遣嗣牧師)