イタリアへの船旅 使徒の働き27章1~8節

 

新改訳2017  使

 

27:1 さて、私たちが船でイタリアへ行くことが決まったとき、パウロとほかの数人の囚人は、親衛隊のユリウスという百人隊長に引き渡された。

 

27:2 私たちは、アジアの沿岸の各地に寄港して行く、アドラミティオの船に乗り込んで出発した。テサロニケのマケドニア人アリスタルコも同行した。

 

27:3 翌日、私たちはシドンに入港した。ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。

 

27:4 私たちはそこから船出し、向かい風だったので、キプロスの島陰を航行した。

 

27:5 そしてキリキアとパンフィリアの沖を航行して、リキアのミラに入港した。

 

27:6 ここで、百人隊長はイタリアへ行くアレクサンドリアの船を見つけて、それに私たちを乗り込ませた。

 

27:7 何日もの間、船の進みは遅く、やっとのことでクニドの沖まで来たが、風のせいでそれ以上は進めず、サルモネ沖のクレタの島陰を航行した。

 

27:8 そしてその岸に沿って進みながら、やっとのことで、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれる場所に着いた。

 

 

 27章は、ローマへの船旅が書かれています。人々は、裁判を受けさせるためにパウロをローマに連れて行こうとしていますが、パウロは神様の愛と救いを伝えるためにローマへ行こうとしていました(使徒2311)。

 

 ローマ行きは、パウロにとって大きなストレスがあったに違いありません。何か月もかかる船旅、ローマで待ち受ける裁判、死刑になる可能性さえありました。しかし、2,3節にはパウロに与えられた恵みが書かれています。一つは、親衛隊のユリウス(1)です。彼はパウロを親切に扱い、以後もパウロの味方であり続けました。また、イタリア行きの船には、ルカをはじめとするパウロの仲間たちが同乗していました(2)。さらにアリスタルコは、パウロの囚人生活を支え続けた信仰の友だと言われています。私たちも目の前に多くの試練がありますが、よく考えると主の恵みがあるのではないでしょうか。また、信仰者の最大の恵みは、救われて神の子どもとされたことです(ローマ815,16)。「アバ」(お父さん)は、小さな子どもが心の底から親に叫ぶ声が元の意味だそうです。私たちはすでに大人ですから、自分の父親に心の底から「お父さん」と呼びかけることはしないかもしれませんが、救われたのであれば、偉大な神様をこのように呼ぶことができる、これは何という恵みでしょうか。困難の中で、私たちに与えられている恵みを数えつつ、人生の荒波を超えていきたいと思います。

 

 さて、彼らの船旅は遅れに遅れました。ここから私たちが教えられることは、神様のご計画は、私たちの考えるスピードで進むとは限らないということです。パウロは26章までで、すでに2年以上囚人生活を送っています。しかし囚人生活をしたからこそ、総督やアグリッパ王という上流階級の人々に伝道することができました。また、アリスタルコ(2)もこの時期に得た親友だったでしょう。そして27章で船が順調に航行できないことも、後に大きな意味があることがわかります。私たちの望むスピードで家族は救われないかもしれない、病が治らないかもしれない、コロナは終息しないかもしれない、そんな時、聖書の中で遅くなったためにより豊かになった神のご計画のことを思い出して下さい。私たちは失望せず、忍耐を持って神様のみわざを待ち望みたいと思います。

 

 次に百人隊長は、船を乗り換える決断をしました。この船は大型船で、最低でも276人が乗船できました(2737)。ユリウスは、大型船なら風の影響を受けにくいと考えたのでしょう。そして彼らは「良い港」(7)を目指しました。ミラからクレタ島への旅も大変でした。自然界の力に、人間はなすすべを知らない、私たちも地震やウィルスを通し、それを実感していると思います。私たちの神様は、自然界のすべてをつかさどるお方です。なぜ愛の神がこのようなことを許されるのか、神様のみこころをすべて知ることは難しいでしょう。しかし、私たちはこのような災害の中で、高慢の道か謙遜の道のどちらかへ行くことができます。高慢の道は、自分を大きくする道のことです。最近、「自粛ポリス」という言葉をよく聞きます。彼らは他人を罰して自分を正義の側に置くことで、少しでも安心したいと思っているのでしょう。教会でも、独善的な正義が蔓延することがあります。確かに聖書には守るべきルールが書かれていますが、それを守っていない人を見下すことがないでしょうか。一方、謙遜な道とは、唯一の正しい神様を見上げることです。今回のウィルス感染拡大に伴って、全国の教会が礼拝を自粛するか否かを考えましたが、ほとんどの教会は、自分たちは神様のような正確な正義の物差しを持っていないことに気づき、できるだけみことば、信仰に基づいた判断をしたように思います。私たちはそれぞれ、独善的な正義を振りかざすのではなく、真の正義を持っておられる唯一の神様を見上げて、へりくだる必要があると思います。

 

 ローマ1210,11では、兄弟たちへの愛と謙遜が命じられています。与えられている教会の交わりを恵みとして受け取り、互いに愛と謙遜をもって人生の荒波を乗り越えていきたいと思います。

 

 「主が仰せられるとそのようになり主が命じられるとそれは立つ。

 

主は国々のはかりごとを破りもろもろの民の計画をくじかれる。(詩339,10)」

 

天の父なる神様、私たち一人一人にご計画を持っておられる偉大な主を讃美します。人間の目には遅すぎるというようなこともありますが、主のご計画は時にかなっていつも美しいものです。どうぞ、神様が計画しておられることを本当に信じつつ、私たちの人生の荒波に立ち向かっていけるように助けて下さい。また、パウロのローマへの船旅には仲間たちがいました。その仲間たちに励まされながら、パウロはやっとの思いでローマにたどりつくのです。どうぞ私たちも、隣にいる兄弟姉妹を愛と謙遜を持って接することができるように助けて下さい。主よ、みことばをありがとうございます。今週も共にいて下さい。(2020510日礼拝 武田遣嗣牧師)