大牧者イエス サムエル記第一8章10~22節

【新改訳2017

Ⅰサム

8:10 サムエルは、自分に王を求めるこの民に対して、【主】のすべてのことばを話した。

8:11 彼は言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。あなたがたの息子たちを取り、戦車や軍馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。

8:12 また、自分のために千人隊の長や五十人隊の長として任命し、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や戦車の部品を作らせる。

8:13 また、あなたがたの娘たちを取り、香料を作る者や料理する者やパンを焼く者とする。

8:14 あなたがたの畑やぶどう畑や良いオリーブ畑を没収し、自分の家来たちに与える。

8:15 あなたがたの穀物とぶどう畑の十分の一を取り、廷臣や家来たちに与える。

8:16 あなたがたの奴隷や女奴隷、それにあなたがたの子牛やろばの最も良いものを取り、自分の仕事をさせる。

8:17 あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがた自身は王の奴隷となる。

8:18 その日、あなたがたが自分たちのために選んだ王のゆえに泣き叫んでも、その日、【主】はあなたがたに答えはしない。」

8:19 しかし民は拒んで、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王が必要です。

8:20 そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」

8:21 サムエルは、民のすべてのことばを聞いて、それを【主】の耳に入れた。

 

8:22 【主】はサムエルに言われた。「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」それで、サムエルはイスラエルの人々に「それぞれ自分の町に帰りなさい」と言った。

 8章は、イスラエルがさばきつかさの時代から王の時代に移行する、重要な分岐点です。今日の個所では、人間の王を求めた民に、神様からことばが下ります。

 まず神様は、王の権利について語られました(1117)。それは第一に、民の子どもたちを徴兵、徴用する権利、第二に、民の所有物(土地、収穫物等)を自分のものにする権利、第三に、民を奴隷(使用人)にする権利です。これらは古代の王なら当然持っていた権利であって、神を求めないイスラエルの民に神様が立腹し、王にこのような強権を持たせようとしたわけではありません。神様はおそらく、人間の王のメリットしか見えていない民に、デメリットを語られたのだと思います。

 それに対し、民はあくまで王を求め、その理由を語りました(1920)。彼らにとって、王とは国を正しく裁く政治家のような人であり、戦いになれば先頭に立って戦ってくれる軍人のような存在でした。これは私たちから見ても、理想が高すぎるのではないでしょうか。イスラエルの民は、人間の王への期待が神様への信仰より大きくなっていました。11節と20節を比較すると、民が11節の神様のことばを全く聞いていないことがわかります。つまり、イスラエルの民は神以外のものを神とし、人間の王を偶像化していたのです。私たちも何かを偶像化する時、彼らのようにメリットだけを見つめるようになってしまいます。この世のほとんどのものは、本来良いものです。例えば、王制という制度も多くの国民をまとめる一つの良い方法です。神様は王制を用いてダビデ王を立て、ダビデ王の子孫からイエス・キリストを誕生させました。しかし神様を上回るもの、救いになるものはありません。皆さんにとって、偶像は何でしょうか。神様との愛の関係を阻害しているものを捨て、神様に立ち返りたいと思います。

 最後に二つのことをお話しします。第一は、制度によるのではなく、一人一人の信仰によって教会は豊かになるということです。那珂湊教会では、オープンチャペル、グループ毎の祈り会など、ここ数年様々なことにチャレンジしてきました。しかし、どんなに良い制度を取り入れても、私たちの心が神様に向いていないのなら、その制度が教会に益をもたらすことはありません。第二は、大牧者イエスについてです。この世界には王の王なる方、すべての上に立っておられる大牧者(へブル132021)がおられ、小さな私たちに目を留めて下さっています。視力が弱いとされる羊のように、私たちも先を見通せない存在ではないでしょうか。しかし、大牧者であるイエス様が私たちを整え、みこころを行わせて下さいます。今週も、このお方に信頼して歩みたいと思います。

 

 父なる神様、御名を崇め讃美いたします。私たちの上に立つ存在の更に上に、大牧者イエス様がおられることを知り、感謝いたします。どうぞ、この大きな神様と共に今週一週間、歩むことができますように。また、目に見える偶像に私たちの心が支配されることなく、イエス。キリストにいつも心を向けて歩んでいくことができますように助けて下さい。(2020118日礼拝 武田遣嗣牧師)