素晴らしい救い ローマ人への手紙8章12~17節

【新改訳2017

ロマ

8:12 ですから、兄弟たちよ、私たちには義務があります。肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。

8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬことになります。しかし、もし御霊によってからだの行いを殺すなら、あなたがたは生きます。

8:14 神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。

8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。

8:16 御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。

8:17 子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。

 

 

 キリストの再臨については様々な説がありますが、私が今日語りたいのは、再臨に対して準備が必要だということです。

 私たちがクリスチャンになると、目には見えませんが礼服を着せられます。私たちは花嫁であり、花嫁は純潔でなければなりません。礼服にシミや汚れがついてはいけないのです。汚れを落とす、それは罪の悔い改めによりなされていきます。

 天地万物を創造された神様は、今も歴史を支配されておられます。イエス様は復活された後40日間地上におられ、天にのぼっていかれました。そして天においても、地においても、一切の権威がイエス様に与えられました。そして、イエス様はすべてのことを導いておられ、全人類を愛しておられます。私たち一人一人を変わることない愛をもって愛して下さっています。神様の愛は、人間がどのような状態にあっても変わることがありません。救いとは、その神様の愛に対して心を開くことです。

 人類はアダムから始まりました。しかしアダムが罪を犯したので、アダムにある者(アダムの子孫)は罪人として生まれ、たとえこの世で成功し、素晴らしい名誉や地位が与えられても、また豊かな人生を手に入れたとしても死後、永遠のさばきを受けなければなりません。しかし神様の愛に心を開いた人は、キリストの十字架の贖いによって罪をゆるされ、アダムにある者からキリストにある者とされます。そしてキリストにある者とされた者には、永遠のいのちが与えられます。ここに神様の救いのすばらしさがあるのです。

 聖書は、この世に生まれてきた人間は、神に対して死んだ者であると言っています。救いは死んだ者を御霊によって生きた者とします。私たちクリスチャンの救いは、罪を悔い改め、救い主イエス・キリストを信じ、御霊が私たちの内に住んで下さることから始まります(使238)。私たちは御霊によっていのちを与えられました。私たちは御霊に従って生きる責任を負っているわけですから、新しいいのちを脅かすからだの行いを、御霊の力によって殺していかなければなりません。それによって、新しいいのちが生き生きとなります。あるクリスチャンの兄弟が、自宅を地域の子どもたちに開放していました。ある日仕事で疲れ、帰宅したら気に入りの大きな椅子に座って体を休めたいと思っていたのに、その椅子に近所の子どもが座っていて、ちょっと怒りが湧いてきたそうです。でも兄弟は祈り、怒りがおさまったそうです。私たちも同様に、肉の力が働く時には祈らなければなりません。

私たちは御霊によって肉の行いを殺しながら、きよめられて成長していかなければなりません。それは日々、イエス様との交わりによってなされます。私たちが信仰生活において陥る危険が二つあります。一つは律法主義です。これをしてはいけない、あれをしてはいけないと言って、自分の力で聖い信仰生活を勝ち取ろうとするものです。そこには、キリストにある自由も喜びもありません。また、人を裁くようになります。もう一つは禁欲主義です。これは、自分の努力で体の行いを殺そうとするものです。旧約時代に、モーセの十戒が与えられました。十戒の目的は、人間がそれを守ることができない罪人であることを認識させ、イエス・キリストを信じる信仰へと導くことです。私たちが救われたのは、神様の愛の故です(Ⅰヨハネ4716)。神様が私たちを愛して救ってくださったので、教会で礼拝を守り、祈り、奉仕をし、福音を伝えるのです。また、パウロは悪魔に機会を与えないように注意しています(エペソ427)。サタンが教会で活動しやすいのは、兄弟姉妹が互いに嫉妬し、争い合う時です。私たちがサタンに機会を与えると、聖霊を悲しませることになります。私たちは、どうやって体の行いを殺すことができるでしょうか。私たちはイエス・キリストを信じて救われたのですが、まだ救いは完成していません。古い人が残っています。注意しないとすぐに堕落し、神様の御心を悲しませるようなことをしてしまいます。私たちが古い人と戦っていくには、御霊の力が必要です(ガラ524)。私たちが御霊を悲しませないようにするために、主イエスに依り頼んで、目や耳から入ってくる誘惑を避け、主の御心にかなったことに心を向けるなら、神の救いのすばらしさを体験することができます。よきおとずれである福音を恥じることがないように、御霊の力を日々祈り求めていきたいと思います。そして、イエス様が来られる準備をいつもしたいと思います。

 

恵み深い天の父なる神様、私たちは罪人として生まれましたが、神様の愛によって救いの恵みに与りました。私たちは神様の愛によって救われたので、神様を礼拝し、奉仕をし、献金をささげます。そしてお祈りをします。どうか、そのような毎日でありますように、一人一人を主が愛し、導いて下さいますように心からお願いします。(20201122日礼拝 元小川教会牧師 尾崎祐司師)