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すべての人に開かれた礼拝 テモテへの手紙第一2章4節

【新改訳2017

Ⅰテモ

2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。

 

 

テモテの使命

 本日は今年の年間目標聖句を含む、テモテへの手紙第一214節の御言葉に聞きましょう。テモテへの手紙は、パウロが若いテモテを励ますために書きました。テモテはエペソという町の教会で働いていました。彼には大きな使命がありました。第一テモテ134節にその使命について書かれています。

3  私がマケドニアに行くときに言ったように、あなたはエペソにとどまり、ある人たちが違った教えを説いたり、 4  果てしない作り話と系図に心を寄せたりしないように命じなさい。

テモテには「教会を間違った教えから守る」使命がありました。的外れな教えが外から入ってきて、教会は混乱していたのです。テモテは間違った教えを吹聴する人を厳しく戒めなければならない。非常にストレスのかかる立場でした。

 

全ての人のために祈る

1テモテ2章からは、そんな大きな使命に立ち向かうテモテに、パウロがアドバイスをしています。

そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。

パウロはなによりもまず「祈ること」をすすめました。「願い、祈り、とりなし、感謝」とありますが、これは異なる4つの言い方で「祈り」について書くことで、祈ることの重要性を強調しているのだそうです。

テモテは「教会の外から、教会をのっとろうとする異端と戦っていました」彼は激しい戦いに出ているテモテに対して、静かに祈る時間を大切にするように勧めているのです。

今年の那珂湊教会の年間目標は「未信の方、子どもたちに開かれた礼拝」を目指すことです。ただその使命を果たすためには「皆さんへの神への祈り」が不可欠なのです。さてパウロがテモテに命じた祈りはどんな祈りでしょうか。それは「全ての人のための祈り」でした。つまり教会の人だけでなく、教会外のまだ神様を知らない人に対する祈りです。恐らくテモテは「教会を間違った教えから守らねば!」という意識が先行して、教会外の人に対しての愛を忘れていたのかもしれません。教会を間違った教えから守ることは大切ですが、教会を守ることばかりで、教会外の人への愛を忘れていたのだと思います。

パウロはそんなテモテに「すべての人のために祈りなさい」と命じるのです。教会にまだ来ていないような人、会ったことのないような王様、そんな人達の悩み、悲しみを知り、祈りなさいと命じています。

 今年那珂湊キリスト教会は、「未信の方にも開かれた礼拝」を目指して進んでいきます。しかしテモテのように、まず私達の心が「閉じられている」「排他的」になっていることはないでしょうか。

 皆さんは今年一年、この教会を開き、まだ来たことのない人を迎えられる準備ができているでしょうか。まだ準備ができていないなら、まず祈りから変えてみましょう。教会の人、身近な人だけでなくて、今まで祈らなかった、クリスチャンになるとは思えないような人にまで祈りの範囲を広げてみる。すると、私達の心がまず開かれていくのではないでしょうか。開かれた教会にしていくためには、まず開かれた心が必要なのです。

2節をお読みします。2  それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るためです。

1節の「全ての人のために祈ること」は「平安で落ち着いた生活を送るため」なんだそうです。「全ての人のために祈る」ことで、私達自身の心と生活が落ち着いたものとなっていく・・・皆さんはこういう経験があるでしょうか。

1テモテ21節には「王と高い身分の人達のために祈りなさい」と命じられています。この時代は迫害されることがありました。しかしその首謀者はいつも王や身分の高い人達です。テモテにとって、この人達のために祈ることは気がひけないでしょうか。しかしパウロは祈りなさいと言いました。それはテモテの心が平安で落ち着いたものとなるためです。自分が敵だと思っている人のために祈ることはおおきなチャレンジです。しかしその人のために祈っていると、次会った時、不思議と心に平安があることがあります。

大洗教会には長きに渡る悩みの種がありました。「駐車場問題」と大洗教会の中では言われていました。2年以上前、大洗教会の駐車場にある日突然、近隣のある家族が車を無断で駐車するようになりました。注意しにいくと、「教会の駐車場の一部は私達が借りることになった」と反論してこられたのです。急いで大洗教会が駐車場を借りている地主さんのところへ出向くと、「教会さんには半分だけ貸していると思っていました」と言うわけです。10年以上前に交わした契約書は、どこにも残っていません。本当のことが分からないままです。私はどうしてもあの家族が、教会の駐車場を無断で侵略してきた敵にみえてしまいました。そうなると、相手とのコミュニケーションが難しくなるし、相手のちょっと行動で腹立たしく思えてきました。

これは本当に最近なのですが、「この家族に対する祈り」を何度か持ちました。その中で「あの家族は子沢山でどうしても近くに駐車場が必要なんだな」とか「あっちも地主さんと正式な手続きをしたと思っているんだよな」とか相手の気持ちを知る力が与えられたような気がします。また那珂湊教会の行政書士をしている兄弟に協力してもらおうという判断も神様から与えられました。

今回の場合のように、神様を信じておらず、自分に敵意があるような人のために祈ることは、かなり辛いことです。しかし祈り終わった後、不思議な冷静さ、落ち着きが与えられるような経験をすることがあります。今度はあの家族の救いのために、祈っていければと思うのです。人のために祈ることは、相手を変えるというより、私達自身の心に変化をもたらすものだと思います。家族や友人の救いを祈りはじめると、まず私達自身が変えられていきます。そして神様から与えられた平安と落ち着きの中で、その人の救いのために必要な言葉が生まれてくるのだと思います。 ですから私達はまず祈ることからはじめましょう。皆さんが今祈るべき、教会の外にいる人は誰でしょうか?今年の年間目標聖句に移りましょう。4節をお読みします。

4  神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。

この4節は1節「すべての人のために祈りなさい」の最大の根拠です。神様はどんな人であっても救われてほしいと願っておられます。この人には興味がない、この人は見捨てたということはないのです。神様は全ての人が救われることを望んでいます。だから私達もまだ救われていない家族・友人、そして自分に敵対する人のためにさえ、祈りを捧げるのです。

 

 今年一年、私達の祈り手を、教会外の人に対しても上げ続けましょう。祈りを通して、そして心から喜んで、外の人を礼拝に迎え入れる教会でありたいと思います。