· 

新しい契約に生きる サムエル記第一11章1~15節

【新改訳2017】

Ⅰサム

[ 11 ]

11:1 さて、アンモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた。ヤベシュの人々はみな、ナハシュに言った。「私たちと契約を結んでください。そうすれば、あなたに仕えます。」

11:2 アンモン人ナハシュは彼らに言った。「次の条件でおまえたちと契約を結ぼう。おまえたち皆の者の右の目をえぐり取ることだ。それをもってイスラエル全体に恥辱を負わせよう。」

11:3 ヤベシュの長老たちは彼に言った。「イスラエルの国中に使者を遣わすため、七日の猶予を与えてください。もし、私たちを救う者がいなければ、あなたのところに出て行きます。」

11:4 使者たちはサウルのギブアに来て、これらのことばを民の耳に語った。民はみな、声をあげて泣いた。

11:5 ちょうどそのとき、サウルが牛を追って畑から帰って来た。サウルは言った。「民が泣いているが、いったい何が起こったのか。」彼らは、ヤベシュの人々のことばを彼に告げた。

11:6 サウルがこれらのことばを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。彼の怒りは激しく燃え上がった。

11:7 彼は一くびきの牛を取り、それを切り分け、使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルに従って出て来ない者の牛は、このようにされる」と言った。【主】の恐れが民に下って、彼らは一斉に出て来た。

11:8 サウルはベゼクで彼らを数えた。すると、イスラエルの人々は三十万人、ユダの人々は三万人であった。

11:9 彼らは、やって来た使者たちに言った。「ヤベシュ・ギルアデの人にこう言いなさい。明日、日が高くなるころ、あなたがたに救いがある。」使者たちは帰って行って、ヤベシュの人々に告げたので、彼らは喜んだ。

11:10 ヤベシュの人々は言った。「私たちは、明日、あなたがたのところに出て行きます。あなたがたの良いと思うように私たちにしてください。」

11:11 翌日、サウルは兵を三組に分け、夜明けの見張りの時に陣営に突入し、昼までアンモン人を討った。生き残った者は散り散りになり、二人の者がともにいることはなかった。

11:12 民はサムエルに言った。「『サウルがわれわれを治めるのか』と言ったのはだれでしたか。その者たちを引き渡してください。彼らを殺します。」

11:13 サウルは言った。「今日はだれも殺されてはならない。今日、【主】がイスラエルにおいて勝利をもたらしてくださったのだから。」

11:14 サムエルは民に言った。「さあ、われわれはギルガルに行って、そこで王政を樹立しよう。」

11:15 民はみなギルガルに行き、ギルガルで、【主】の前にサウルを王とした。彼らはそこで、【主】の前に交わりのいけにえを献げた。サウルとイスラエルのすべての者は、そこで大いに喜んだ。

導入

小さい頃、「指切拳万、嘘ついたら針千本呑ます」と言って、友達と約束した懐かしい思い出があります。 軽やかなリズムで歌うので、気になりませんが、とても怖い内容の歌ですよね。 この歌には約束を破った時の三つの罰が出てきます。 一つが「指切り」指を切られる、二つ目が「拳万」拳コツ一万回、「ハリセンボン飲ます」は魚ではなく、裁縫針を千本飲む。 そして最後の「指きった」で約束が成立するのです。 本当にその内容を守るのであれば、まさに「命がけの約束」ではないでしょうか。 今日は主に「聖書における契約」について学びます。 旧約聖書における契約もまさに命がけだったのです。

 

1節~4節 対等の契約

冒頭の1節をお読みします。

1 さて、アンモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた。 ヤベシュの人々はみな、ナハシュに言った。 「私たちと契約を結んでください。 そうすれば、あなたに仕えます。 」

ヤベシュ・ギルアデ(以下ヤベシュ)は、ヨルダン川のすぐ東側にある町でした(地図で示す)。 この町はイスラエルの町なのですが、他のイスラエルの町々から精神的に孤立していました。 例えば士師記の時代、イスラエル中から兵が徴集されたことがありましたが、ヤベシュの町は我関せずで、一人も兵を出さなかったのです。 士師記218節をご覧ください。 そこで、彼らは「イスラエルの部族のうちで、どの部族がミツパに、主のもとに上って来なかったのか」と言った。 見ると、ヤベシュ・ギルアデから陣営に来て、集団に加わっている者は一人もいなかった。

そんなヤベシュの町に、アンモン人が攻め上ってきました。 彼らは今更、他のイスラエルの町々に助けを求めることはできず、アンモン人に白旗を上げ、「私たちと契約を結んでください」と願い出ます。 旧約聖書の時代、契約は二種類ありました。 一つが①対等の契約です。 これは私達が普段している契約に似ています。 お金を払って、アパートに住むこと。 働いて、労働の対価をえること。 二つ目の契約が②主人と奴隷の契約です。 奴隷側が理不尽であったとしても、主人側に従わなければならない契約です。 ヤベシュの町とアンモン人が結ぼうとしている契約は「主人と奴隷」の契約です。 そのことがとてもよく分かるのが2節です。

2 アンモン人ナハシュは彼らに言った。 「次の条件でおまえたちと契約を結ぼう。 おまえたち皆の者の右の目をえぐり取ることだ。 それをもってイスラエル全体に恥辱を負わせよう。 」

アンモン人がヤベシュの町に提示したのはハリセンボン飲ますに優るとも劣らない「右目をえぐりとる」という身の毛もよだつ内容でした。 全く対等な契約ではないのです。 ヤベシュの人々は他に頼るあてもなく、ヨルダン川を越えて、サウルのいるギブアという町を訪れます。 4節~6節をお読みします。

4 使者たちはサウルのギブアに来て、これらのことばを民の耳に語った。 民はみな、声をあげて泣いた。 5 ちょうどそのとき、サウルが牛を追って畑から帰って来た。 サウルは言った。 「民が泣いているが、いったい何が起こったのか。 」彼らは、ヤベシュの人々のことばを彼に告げた。 6 サウルがこれらのことばを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。 彼の怒りは激しく燃え上がった。

4節でヤベシュからの使いがギブアを訪れます。 イスラエルの民はこれを聞いて、「こえを上げて泣いた」そうです。 アンモン人とヤベシュの理不尽な契約関係を聞き、憐れみで涙したのか。 いや一番の理由は、アンモン人の恐怖が自分達にも降りかかるかもしれないからです。 「アンモン人の恐怖はもうすぐあのヨルダン川を越えて、私達のところにもやってくる。 」イスラエルの民は大泣きしました。

そんな中、5節、サウルが人々のところにやってきました。 サウルとは、前回の箇所1024節で、イスラエルの王になると民全体に告知された人です。 5節において、サウルは恐らく王になる前の猶予期間を過ごしていたのだと思われます。 みんな泣いている中で、サウルが実家の牛をおっかけ回している描写がありますが、これはサウルがいかに普通の人だったか表しています。 しかし6節、神の霊が彼に下った時、彼に大きな怒りが生じ、アンモン人との戦いに発展していくのです。

 

511節 サウルの兵の徴集

まずサウルはアンモン人との戦いに備え、イスラエル中から兵を徴集しますちょっとショッキングな兵の集め方です。。 7節をお読みします。 彼は一くびきの牛を取り、それを切り分け、使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルに従って出て来ない者の牛は、このようにされる」と言った。 主の恐れが民に下って、彼らは一斉に出て来た。

サウルはイスラエル中の町々に、牛の切り分けた部位を送り、もし兵の徴集に応じなければ、あなたがたもこの牛のようになると命じました。

サウル王とイスラエルの民の契約関係は、「主人と奴隷」ではありませんが、王の命令が絶対で、破ると命をとられることを見ると、それに近い関係なのかもしれません。

当時のイスラエルには契約の儀式がありました。それは真っ二つにされた動物のいけにえの間を、契約する両者が通り過ぎるという儀式です。日本語では契約が成立することを「契約を結ぶ」といいます。しかしヘブル語で契約が成立することを「契約を切る」と表現するのです。この表現は契約時に、動物を真っ二つに「切る」ことと関係しているのです。

動物を真っ二つに切るのは、「もし契約を破れば、この真っ二つの動物のようになっても文句はいえない」ということなのです。

私は小さい時、「ハリセンボン飲ます」何度もしました。そして恐らく何度か破ったと思います。しかしハリセンボン飲んではいません。それは冗談だからです。しかし聖書の契約というのは冗談抜きです。あの動物のように殺されても文句は言えない、絶対に破れない重いものなのです。

7節のサウルの命令を、イスラエルの民は冗談ではないことを知っていました。8節によると、33万人ものイスラエル人がサウルの元に集まりました。そしてサウルは王としての初陣を、勝利で飾ることができたのです。11節を読みましょう。11  翌日、サウルは兵を三組に分け、夜明けの見張りの時に陣営に突入し、昼までアンモン人を討った。生き残った者は散り散りになり、二人の者がともにいることはなかった。

アンモン人は撃退され、ヤベシュの人達も安心して暮らせるようになったのでした。サウル王は戦果を挙げ、人々に王として認められます。そして1415節でサウル王の王政が樹立するのです。

14  サムエルは民に言った。「さあ、われわれはギルガルに行って、そこで王政を樹立しよう。」 15  民はみなギルガルに行き、ギルガルで、主の前にサウルを王とした。彼らはそこで、主の前に交わりのいけにえを献げた。サウルとイスラエルのすべての者は、そこで大いに喜んだ。

ここからは「契約」についてさらに掘り下げていきたいと思います。今日契約について二つのことを学んでいます。一つ目は、契約は二種類あることです。対等の契約と、また主人と奴隷の契約です。二つ目は、契約は命がけであることです。破ることは赦されないものでした。まず一つ目、「契約は二種類ある」ということですが、イエスは私達と同等の契約を結んでくださったということです。神様はこの世界の創造主です。造られた私達とは一線を画す存在です。しかし神は人と不平等な契約を結ぼうとは考えなかったのです。アンモン人は「殺さない代わりに、右目をえぐりとりなさい」と強い立場を利用した、不平等な契約を結ぼうとしていました。しかし神と人の契約はどうでしょう。例えばモーセ契約という契約を見てみましょう。出エジプト記1945節をお読みします。 『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。 今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。

 もし人が神の御声に聞き従うなら、イスラエルをご自身の宝とするという契約を結びました。神の命じることを行えば、神が守り、支え、良いところに導いてくださるという契約です。イスラエルにとって、非常にメリットのある対等の契約です。神はご自身のためではなく、人が神との正しい関係に入り、人が祝福されるために契約を結んでくださるお方なのです。

二つ目。契約は命がけであるという点をさらに学びましょう。先ほど見たシナイ契約は、もし御声を聞くならという条件がついています。しかしイスラエルはこのシナイ契約締結後、神に文句を言ったり、金の偶像を作ったりして、神様を拒絶するのです。当時の契約は一方が違反し続けるなら、命をとられてもおかしくはない重いものです。しかし神様はその愛ゆえに、イスラエルを滅ぼすことせず、また契約を破棄することもしなかったのです。

むしろ神様はお考えになりました。「この人々とまた親しい関係になるにはどうしたら良いのだろう?そうだ!「契約違反による死」の身代わりとなって死ねば、親しい関係に戻ることができる。」そしてイエスキリストは十字架にかかって、私達のために死んでくださったのです。

そして私達は新しい契約を神と結ぶことができるようになったのです。それは「神を信じるなら、救われる」という約束です。「信じるなら、救われる」これだけ聞くと、「なんて簡単なんだ!」と思われるかもしれません。しかしこの「信じるなら、救われる」が実現するに至ったのは、並々ならぬ神の忍耐と愛があったのです。

 

はじめに神は主人と奴隷のような契約ではなく、人と対等な契約関係を結ぼうとされました。しかし人はこの契約を守りません。人は神と共に生きる拒否し、偶像や他のものを愛するようになりました。しかし神様は何千年の時が経ってもこの契約を破棄せず、人を見捨てません。そして今から2000年前、神はイエス様を地上にお送り、契約違反の重たい罪を全てご自身が受けられました。そして人が「信ずれば、救われる」という新しい契約の中に生きることができるようにしてくださったのです。私達はこの並々ならぬ神の愛に応えて、今週何ができるでしょうか。御言葉に感謝して、一言お祈りしましょう。