· 

神に立てられた指導者 サムエル記第一12章1~6節

【新改訳2017】

Ⅰサム

12:1 サムエルは全イスラエルに言った。「見よ、あなたがたが私に言ったことを、私はことごとく聞き入れ、あなたがたの上に王を立てた。

12:2 今、見なさい。王はあなたがたの先に立って歩んでいる。私は年をとり、髪も白くなった。そして、私の息子たちは、あなたがたとともにいる。私は若いときから今日まで、あなたがたの先に立って歩んできた。

12:3 さあ今、【主】と主に油注がれた者の前で、私を訴えなさい。私はだれかの牛を取っただろうか。だれかのろばを取っただろうか。だれかを虐げ、だれかを打ちたたいただろうか。だれかの手から賄賂を受け取って自分の目をくらましただろうか。もしそうなら、あなたがたにお返しする。」

12:4 彼らは言った。「あなたは私たちを虐げたことも、踏みにじったことも、人の手から何かを取ったこともありません。」

12:5 サムエルは彼らに言った。「あなたがたが私の手に何も見出さなかったことについては、今日、あなたがたの間で【主】が証人であり、主に油注がれた者が証人である。」そこで、ある人が「証人は」と言うと、

12:6 サムエルは「【主】である。モーセとアロンを立てて、あなたがたの先祖をエジプトの地から上らせた方である」と民に告げた。

 今日は、聖書の教えるリーダーシップについて、三つのポイントで学びましょう。

 第一は、聞くことです。前指導者サムエルは神様のことばを聞いて人々に伝え、人々のことばを聞いてそれを神様に伝えました。彼は、「聞くこと」を重要視した、謙遜なリーダーでした(1、ルカ222526)。私たちはサムエルやイエス様のように聞き、仕える心を持っているでしょうか。

 第二は、神の評価を第一とすることです(3)。サムエルは即位式の中で、まず今までのリーダーとしての働きを人々に評価してもらおうとしました。もしサムエルが不正なリーダーなら、彼が次期リーダーを立てるのは危険だからです。民はサムエルに不正はなかったと答えました(4)。民だけでなく、神様もサムエルの誠実さの証人となりました(56)。周囲の評価を聞くことは、自分を客観的に分析するために必要ですが、サムエルは神の評価を最も重要視していました(証人は主である、と宣言)。残念ながら新しい王、サウルは人の評価に揺れ動く人でした(Ⅰサム1878)。イエス様は2000年前、この世界に降りて来られました。イエス様の最大の目標は、人の罪の身代わりとなって十字架上で死ぬことでした。しかし人々は、イエス様にイスラエルの王になることを求めました。イエス様は自分の使命を理解されず、孤独でしたが、人ではなく神様に与えられた使命に忠実に歩まれました(ガラ110)。私たちも人ではなく、神様を喜ばせる歩みをしていきませんか。

 第三は、神に仕えることです(56)。サムエルはリーダーとして責任感を持っていましたが、常に自分の上には最終的に責任を取って下さる神様の存在を意識していました。私たちも、私たちの上に神がおられることを意識しながら、リーダーシップをとっていく必要があります。イエス様のたとえ話、「タラントのたとえ」の中で、あるしもべは土の中にお金を隠してしまいました(マタ252426)。彼は主人(神様)について大きな勘違いをしていました。主人は少しでもミスをすれば罰を与える、恐ろしい方だと思っていたのです。だからしもべは全くお金を使わないで、土の中に埋めておいたのでした。しかし神様は、神のために行うチャレンジに関しては、思い切って行うことを勧めています。皆さんんも神様から財産(才能、人脈、性格等)を預かっています。私は少ししか与えられていない、と思われる方もおられるかもしれません。しかし神様は、与えられた小さな財産をしっかりと使った者には、更に大きなものを任せて下さるお方です。私たちの上には偉大な、懐の大きい神様がおられます。今週も自分に与えられたチャレンジを全うしていく者でありましょう。

 

 天の父なる神様、サムエルは神を中心としたリーダーシップをとることで、大きな責任を果たすことができました。私たも神様を中心に置いて歩むことができますように。今週もここにいる一人一人、また今日ここに集えなかった一人一人と、あなたが共にいて下さいますようお願いいたします。(2021228日礼拝 武田遣嗣牧師)